鹿児島大学医学部長 河野 嘉文
鹿児島大学医学部長
河野 嘉文

 鹿児島大学医学部は、医学科と保健学科の2学科からなり、保健学科はさらに看護学、理学療法学、作業療法学の3専攻から構成され、総合的に医療専門職の育成を図っております。医学科は直接の前身である鹿児島医学専門学校の創立から数えて75周年になり、保健学科は鹿児島大学医療短期大学部を発展的に解消して医学部保健学科に改組して20周年になります。このように、2018年は鹿児島大学医学部にとって記念すべき年になります。

 ところで、鹿児島における西洋医学の医師育成の歴史は、1868年(明治元年)に薩摩藩が鳥羽伏見の戦いの負傷者の治療をイギリス人医師ウィリアム・ウィリスへ依頼したことに端を発します。同年に島津藩が医学校と病院を設立し、翌年に東京医学校兼病院(現在の東京大学医学部)の初代校長であったウィリアム・ウィリスを西郷隆盛や大久保利通らが鹿児島に招聘したのです。彼はイギリス独特の臨床実証医学を重んじ、医学生に患者を前にしてのベッドサイドティーチングを行ったとされています。日本最初の医学博士であり、東京慈恵会医科大学を創った高木兼寛らを育てたことでも有名です。彼はまた、公衆衛生教育にも尽力し、牛の死肉食用禁止の指導なども行いました。赤倉病院と呼ばれた医学校はその後県立医学校となり、明治21年に一時廃止となりましたが、鹿児島における病院機能は様々な形で存続し、昭和18年に鹿児島大学医学部医学科の直接の前身である鹿児島医学専門学校に引き継がれました。1947年(昭和22年)に県立鹿児島医科大学(旧制)、1955年(昭和30年)には県立から国立への移管により、鹿児島大学医学部となりました。南九州、特に離島を含む南北600kmの広大な地域の医療と保健活動を担う医師育成の強い要望に沿って活動し、鹿児島県における唯一の医育機関として、現在まで一貫した使命を果たしてきました。

 従来、医学部は教育・研究・診療の3つの重要な役割を担っておりましたが、国立大学法人化以降は社会的需要への対応のために、教育は医学部が、研究は医歯学総合研究科と保健学研究科が、そして診療は鹿児島大学病院が中心になって実践しております。これらの独立した部局が緊密に連携し、地域社会のご協力を賜りながら、社会で求められる医療人の育成に努力いたします。鹿児島大学医学部をご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

(2018年4月)