**** ミャ
ンマー日記2005 ****
2005年2月13日〜3月5日
鹿児島大学大学院医歯学総合研究科
腫瘍学講座人体がん病理学
masagoto@m2.kufm.kagoshima-u.ac.jp
後藤正道
注意:ここに書かれたこ
とには個人情報を含みますので、個人で閲覧する以外に、配布したり、リンク
することはご遠慮下さい。
OZと記載されている写真は、尾崎
元昭先生撮影のものです。
【2005年2月13日(日)】鹿児島・福岡・ヤンゴン 晴れ
5時30分に起床。今年の冬は暖冬で始まったものの、二月に
なってからは鹿児島市内に雪が積もるなど寒い日が続いている。鹿児島市・中
山バス停を6時26分発の空港バスまで、娘の愛子が車で送ってくれる。
今回のミャンマー出張は、昨年の同じ時期に4週間かけて
JICA(国際協力事業団)の短期専門家として行なった病理技術指導のフォロー
アップということで、昨年よりは気分的に楽だ。今年の3月で終了することに
なっているJICAのこの5年間の国際医療協力プロジェクト(ミャンマー国ハン
セン病対策基礎保健サービス改善プロジェクト Leprosy
control and basic health services project)は、5年前に開始される
時期に国立ハンセン病療養所の星塚敬愛園に勤務していたので、全国のハンセ
ン病療養所スタッフによるバックアップを行うことが決定される過程に関わっ
た。そのプロジェクトが終了する時期に、現地でその成果を目撃することが出
来ることになる。
鹿児島空港からは、8時発のJAL3642便で福岡に向か
う。9時に福岡に到着し、連絡バスで国際線に行く。今回はスーツケースと大
きめのショルダーバッグの二つで、どちらも手荷物で持っている。国際線の宅
急便で携行機材の顕微鏡用デジカメを受取り、日本円を米ドルの現金に両替を
して(1ドル=108円)、タイ航空にチェックインし、出発ロビーに向か
う。
福岡空港国際線 タイ航空のエアバス
11時30分に搭乗。昨年と同じ便で、バンコクに向かう12
時発のTG649便(A300)だが、機体は去年よりも新しい。昼食は白身魚のタイカ
レー風味。昨年はすき焼き風味の牛肉を選んでみたら不味かったので、これは
正解だ。ワインを少し飲んで、しばらく眠る。約5時間のフライトで、バンコ
ク時間16時前に到着。バンコクの空気は、なまあついアジアの空気だ。
バンコク空港で少し待ってから、バンコクを18時発の
TG305便でミャンマーの首都ヤンゴンに向かう。隣の席はちょっとインド的な
男性。眠そうだ。ミートパイとサラダがおいしい。ほぼ定刻の19時頃に到
着。機内で読んだNewsweek誌で、天然のものと同じ品質の大きな人造ダイヤが
作れるようになり、これまでダイヤモンド価格を維持してきたシンジケートが
どう対応するのか注目されているという記事を読む。
ヤンゴン空港では、ミャンマーのJICAプロジェクト事務所の田中
さん、プロジェクトチームリーダーの石田裕先生、現地のJICAスタッフに迎え
てもらう。車に分乗してホテルに向かう。30分ほどでTraders
Hotel Yangonに20時頃に到着する。チェックインして、田中さんと石
田先生から明日の予定を聞き、今日は解散。19階の1923号室に入って、荷物
を引き出しに入れて、ちょっとお腹が空いたのでカロリーメイトフルーツ味
(400kCal)を食べ、持ってきたビタミンCとビタミンB群のサプリメントを飲
んで、シャワーと洗濯をする。テレビをつけると、ミャンマー語の放送、
CNN、NHKの海外向け衛星放送が2チャンネルが入る。22時(日本時間午前0
時半)に就寝。ベッドの毛布が薄すぎて寒いので、ちょっと厚めのベッドカバ
ーを探し出してそれをかけて、ぐっすりと眠る。
【2月14日(月)】ヤンゴン 快晴
今日は、表敬訪問の日で、JICAオフィス、ミャンマ
ーのハンセン病対策事務所、保健省を回ることになっている。
6時すぎに目が覚める。日本との時差は2時間半なので、日本
時間では8時半ということになる。7時に一階のレストランで朝食。おかゆと
ソーセージなどを食べる。部屋に帰って昨年と同じノートブックパソコンの
PowerBook
G4/12inchのJeditプログラムを使ってこの日記を書く。このコンピュー
タと小型デジタルカメラFuji F401、それに久しぶりに使うフィルムカメラの
ローライ35S
(40mm F2.8)を持ってきている。
石田先生と田中さんと8時20分にロビーで待ち合わせて、隣
のビルにあるJICAミャンマー事務所に表敬訪問。今日は所長の佐々木氏やプロ
グラム調整員の青木氏は留守で、佐伯氏と正永氏と30分ほど話をする。
ホテルの部屋で、石田先生と仕事の打ち合わせをして、ミャン
マーから鹿児島大学の大学院博士課程に留学していて一時帰国中のThida
Aungさんと11時にロビーで会って、話す。そのあと、近くのサクラカフェ
で昼食。ナシゴレン(1200チャット)が美味しい。ちなみに、現在のチャットの
レートは、1ドル=910チャットということだ。
13時すぎに、保健省事務所の3階にあるハンセン病プロジェ
クトの事務所に行き、ここから歩いて直ぐ近くにある、ミャンマーのハンセン
病対策事務所に行き、ハンセン病対策のAssistant
DirectorのDr. Zaw Winと会って、時間をかけて会議の打ち合わせなど
を行う。
保健省事務所の入口でチームリーダーの石田裕先
生(向かって左)と筆者 保健省のハンセン病対策事務所はこの2階
また歩いて保健省事務所に帰ってくると、ちょうど車で出かけよ
うとしている、疾病対策部長のDr. Kyaw Nyunt Seinにばったり会うことがで
きた。3階にある石田先生のオフィスに一年ぶりに行ってみると、部屋のレイ
アウトがすっきりとなっていて使いやすい。昨年にここでパソコンを使ってい
て、ACケーブルに足をひっかけて床に落としてしまったことを思い出す。ここ
でしばらく会議の打ち合わせや使う資料を探したりしたあと、16時からの保
健省への挨拶がキャンセルになったので、16時すぎにホテルに帰って一休み
する。今日訪問したところは、どこも室内はクーラーが効いているのだが、街
中はしっかりと暑くて、少し歩くだけで汗が出てきて、それなりに疲れてしま
う。
JICAプロジェクトの石田先生のところで見つけた、良い教科書
: Wallace Peters & Geoffrey
Pasvol. Tropica Medicine and parasitology 5th ed. 2002, Mosby。
結核の中心壊死の形成(好中球)についての論文:Ridley
DS. Pathology 19:186-192, 1987.
19時に石田先生と会って、近くのタイ料理レストランに行
く。海苔のスープは辛くないが、ソムタム(パパイヤサラダ)が相当に辛い。
魚が美味しい。ビールを飲みながら、色んなことを話す。明日の朝は出発が早
いので、持っていくリュックサックに荷物を詰めて、残りをホテルに預けるス
ーツケースに入れ、シャワー・洗濯をして、22時に睡眠薬を飲んで眠る。
【2月15日(火)】ヤンゴンからマンダレーへ 快晴 暑い
5時に起床。紅茶を一杯飲んで、5時45分にホテルをチェッ
クアウトして車で空港に向かう。ヤンゴン空港を7時発のAir Baganのジェッ
ト機
(Fokkar 100)に乗って、バガン経由でマンダレーに飛ぶ。満席で、窓際
の11Aの席だ。軽いサンドイッチの朝食が出る。空から見るミャンマーの地形
は、木の多い村落とその周囲の作物のない茶色の畑がほとんどだ。稀に、川の
周囲に緑の畑がある。
飛行機の窓から見た、乾期のミャンマーの大地
隣は白人の女性で、バガンに着陸したときにどこまで行くのか訊
いてみると、マンダレーまでとのこと。観光なのか仕事なのかと訊かれるの
で、日本政府の国際援助の仕事でハンセン病対策のお手伝いだと話すと、自分
はWorld
ConcernというNGOでシャン州北部でHIVの予防をやっているが、その地
域にもハンセン病の人は多いとのこと。日本のプロジェクトの目的などを鋭く
質問してくるので、自分がやっていることやその関連のことを話す。
定刻の9時にマンダレー空港に到着し、迎えの車に乗って、マ
ンダレー市内に向かう。
マンダレー近郊の村(左)と車から見た満員バス(右)
昨年と同じセドナホテルに荷物だけを置いて(部屋は427号
室)、マンダレー皮膚特別外来(MSSC)に11時前に到着。昨年、ヤンゴンでの
10日間の病理技術研修に出席してくれたMSSCのDr.
Maung Maung Htooと、昨日マンダレーに到着した長島愛生園の尾崎元昭
先生が、外来患者さんを診察している。
挨拶をして、皮膚からの抗酸菌染色の出来具合を見せてもらい、皮膚
生検の機材や高圧滅菌器の機材確認などをすると、12時前になる。一人、初
めて来た患者さんで、純神経型のハンセン病疑いの人がいるが、診断が確定せ
ず、明日もう一度来てもらうことになる。場合によっては、皮膚生検をするこ
とになる。このクリニックでは、DVDプレーヤーで患者さん向けの教育用ビデ
オを外来の待合室で流しているが、なかなか良く出来ているようだ。
マンダレー皮膚特別外来(MSSC)の建物と、その前の道路
のぬかるみ
左:尾崎元昭先生、Dr. Maung Maung Htoo、筆者 右:診察中(奥は
Dr. Saw Lwin)
診察室待合の教育用DVDを見る外来患者さん
12時半すぎに駅の近くにあるシャンヌードルの店(Nankam
Shan Noodle Shop)に行って米粉の麺と鶏のスープの麺料理を食べる。ここ
は、昨年にもマンダレーで初めて食事をしたところで、とてもおいしい。
その後で医療器材店によって、高圧滅菌器の部品の確認、使用
説明書のコピーをもらい、デパートで高圧滅菌器用のステンレス皿を買って、
MSSCに戻る。午後は、高圧滅菌器の使用テストだ。電源アダプターが容量不足
で途中で切れたりして、テストが終わったのは16時すぎになる。
MSSC検査室の抗酸菌染色(左)と顕微鏡(右)
MSSCの高圧滅菌器(中国製)(OZ)
明日からのことについて少し相談し、帰る途中の小さな店で水とビ
ールを買い、ホテルに帰って一休み。
19時に、長期専門家の看護師の藤田美香さんと尾崎先生と3
人で、ジープニー(小型トラックの荷台が客席のタクシー)を雇って、10分
ほど西に走り、シャン料理の店(Lasho
Lay)であっさりとした中華風のシャン料理を食べる。ビルマ料理ほど油
が多くなくて、日本人には美味しい。ここで20時半頃までゆっくりと食事を
して、ホテルに帰る。藤田さんが、奥さんへのお土産のルビーをホテルのショ
ップで見てみませんかというので、ひやかしてみる。金物の細工は粗いが、石
はきれいだ。でも思った以上に高価なのでびっくりする。シャワーと洗濯をし
て、23時前に就寝。ちょっと肌寒いのでエアコンは切って寝る。
【2月16日(水)】マンダレー 快晴 室内は涼しい
6時半すぎに目がさめる。着替えて洗面をしてから、フィルム
カメラだけを持って、近くを散歩してみる。朝の勤めに出る人達をスナップ。
暑くないためか、アジア特有の匂いがあまりしない。
マンダレーの裏通りの朝(Rollei 35S)
7時すぎにホテルに帰って朝食。部屋に帰って仕事の準備をしていると、
日本からのファックスが届く。Corresponding authorになって投稿して
いた原稿について、Reviewerからのコメントがついて電子メールで返事が返っ
てきたので、それをプリントアウトしてファックスで送ってもらったものだ。
尾崎先生、藤田さん、コンサルタントのSaw Lwin先生と一緒
に、9時半にMSSCに到着し、一緒に患者さんを診る。午前中の患者さんが13
時近くまでかかる。昼食は近くのインド料理屋台でチキン・ブリヤニ(インド
風チキンライス)を食べる。
午後は、MSSCの患者統計データなどを見ながら、医学統計と研
究手法について議論をする。若い女性や僧侶が数人診察に来る。最後に、昨日
診察した難しかった患者さんの再診。皮疹からは真菌が出たが、抗酸菌は陰
性。Saw
Lwin先生にも診てもらい、神経生検の適応かもしれないということにな
るが、橈骨皮神経の腫大がないために、うまく生検できるか自信がないという
ことで、結局、4名の医師の議論で「純神経型ハンセン病・MB)として、1年
間の治療を開始することになった。ここで、昨年は一年間にこのクリニックで
200名弱の新患があったことなどの年間統計を見せてもらい、現在は1年ご
とに新規に取り直すことになっている、患者さんのID番号について、経過観察
との関係でその妥当性についての意見交換をする。
16時すぎにホテルに戻り、ファックスの返事書きと、会議用
のスライドの準備をする。ファックスの返事はエディターで書いてUSBメモリ
ーに移し、藤田さんのパソコンから彼女のアドレスで電子メール(モデム)で
送ってもらうことにした。
19時すぎに三人で、ホテルの道をはさんで東側にある宝石店
(Nine Special Gems)に行ってルビーのペンダントなどを見る。薄いピンクの
ルビーが藤田さんのお薦めだが、僕にはちょっとピンと来ない。昨年、尾崎先
生はこの店でVISAカードで支払いできたそうだが、今年はJCBカードかトラベ
ラーズチェックしか使えないらしい。
そのあとで、10分ほど暗い道を歩いて、中華風ヤキトリの店
に行く。屋台に毛が生えたような店で、串に刺した肉や野菜を選んで、焼いて
もらったものが出てくる。ここの蒸し餃子と、生姜の利いた鶏のスープがおい
しい。ビールを2杯飲んで、一人分が約2000チャット。ホテルに帰って、
23時頃に就寝。
マンダレーの中国風ヤキトリ(串を外して出てくる)
【2月17日(木)】マンダレー 快晴
今日も午前中はMSSCの外来を見学して、今後の機能強化の方向
性を考えることになっている。今朝は、昨日貴重品を入れてロックしたホテル
の部屋の金庫が開かないので、修理に来てもらう。
MSSCの外来には、紹介なしで来るハンセン病疑いの患者さん、
他の病院・クリニックからのハンセン病疑いの紹介患者さん、治療中や治療後
のらい反応のために来る人、古いハンセン病の患者さんのフォローアップや再
発を心配して来る患者さん、一般皮膚科の患者さんなど、いろんな人がやって
くる。ハンセン病の場合には、診察後に障害度のチェックアップをパラメディ
カルの人がきちんとやってくれるので、全国規模で一定の書式でのデータが集
積されている。日本では、現在はそれぞれの施設で工夫しているものの、全国
で使う書式はない。今後、ハンセン病学会で議論して作成し、ホームページな
どで公開できないか、尾崎先生と議論する。
外来患者カード
WHO/MDT(多剤併用療法用の4週間パック)と、らい反応用のプレドニン
漸減パック(Prednipac)(OZ)
昼食はDaw Lay Mayでビルマ料理を食べる。魚のカレーがおい
しい。午後はHtoo先生は2ヶ月に1回の地区ハンセン病対策会議に出席なの
で、僕と尾崎先生はホテルに戻り、会議のスライド作成の準備をする。無理の
ないスケジュールで動いているつもりだが、やはり気疲れがあるのか、眠くな
って2時間ほど午睡をとる。夕方にはすっかり元気になった。ところで、また
部屋の金庫が調子悪い。尾崎先生と歩いて、昨年も行ったことのある、ホテル
近くのビアガーデン(Myanmar
Lion)で夕食をとる。卵のスープ、ブロッコリーのオイスターソース炒
め、鶏の唐揚げ、豚と野菜の中華風炒めを食べる。二人で6000チャット。
【2月18日(金)】マンダレー 快晴
乾期で快晴の日が続いている。その分、ほこりっぽい。朝食の
前に大学からのファックスが届く。午前中にMSSCの外来で23人の患者さんを
一緒に診察する。診断や治療が難しい症例が数例あって、議論をする。昼食
(中華)のあとで、ホテルに帰ると、またファックスが来ている。朝の分とま
とめて返事を手書きで1枚に書いて、ホテルのビジネスセンターから日本に送
る。1分間7ドルだが、1分30秒かかったので14ドルになる。ここから英
語の電子メールを送付するのは3ドル。受け取るのは1ドルとなっているの
で、場合によっては英文でメールを送ったほうが早いかもしれない。この4日
間に診察した症例をエクセルファイルに入力する。
19時から、尾崎先生と二人で歩いて、17日に行った中華風
ヤキトリの店の近くを歩いてみる。似たような店があるので、肉や野菜を焼い
てもらう。二人で4500チャット。帰ってきてから会議の準備。23時に一
週間の仕事を終わり、明日の土曜日は観光の予定だ。
中華風ヤキトリ店その2
【2月19日(土)】ザガインSagainへ 快晴
今日は、タクシーをチャーターしてマンダレーの西にある街ザ
ガインSagainへ行くことになっている。人センターという日本のNGOがYMCAの
日本語学校で教師をしているが、そこの学生さん4人がボランティアでガイド
をしてくれることになっている。8時半にホテルのロビーで待ち合わせる。一
人は男子学生(アウン・エー・チャン)、三人は女子学生(ティン・ティン・
ヌエ、ティン・ティン・トゥン、オーン・マーミョートゥエ)で、日本人の大
学生と雰囲気は似ているが、挨拶はしっかりしている。バンのタクシーで出発
する。西に向かい、イラワジ(エーヤワディー)川にかかるインワ鉄橋を渡
り、ザガインの街に入る。途中で外国人観光客の入域料3ドルを払う。
車の中で、学生さんたちにミャンマーの物価などについて教え
てもらう。中国製オートバイは約4万円で、日本製はその3倍と高価。ガソリ
ンはバイクの場合は毎月10ガロン(38リットル)までは1ガロン180チ
ャットで買うことができるが、それ以上は闇価格となって1ガロン2000チ
ャットくらい。出身地のシャン州北部のLashoまで約12時間のバスに乗って
帰る場合、往復で4000チャット。などなど。
ザガインの人口の1/3位がお坊さんと尼さんで、産業として
は織物と土器(水瓶など)製造、銀細工など。ザガインヒルの頂上まで車で登
り、そこにある寺院を見たあと、第二次世界大戦の日本人慰霊碑と、その横の
日本パゴダを訪れる。インパール作戦などで本当に多くの日本兵が死んでいる
が、その多くはマラリアなどの病気と食糧不足による栄養失調だ。補給を考え
ない戦争の愚かさ。
ザガインヒルの日本人鎮魂碑(OZ)
その後で、地元の銀細工の店を2軒見て回る。実用性のあるものがなか
なか無いが、日本の茶筒に入れて使える茶匙があるので、それだけを買い求め
る。車で、古都アマラプラAmarapuraを通ってマンダレーに戻る。昼食は、ち
ょっと落ち着いた洋風レストランでハンバーガーやピザを食べる。ハンガーバ
ーはアメリカサイズで大きい。帰りの車とレストランで、日本の映画やテレビ
ドラマの話がでる。日本語学習として日本語学校にもある程度のビデオがある
が、年に一回の日本大使館主催の日本映画祭が楽しみとのこと。宮崎駿の映
画、ちびマル子ちゃん、ウォーターボーイズ、たそがれ清兵衛、ビューティフ
ルライフ、韓国ドラマなどが好みらしい。
14時にいったんホテルに帰って僕と尾崎先生はひと休み。ホ
テルの売店で先日に下見していた銀細工のブローチを買い求める。16時にま
たホテルのロビーに集まって、王宮とマンダレーヒルを見学する。王宮は入場
料が3000チャットで、王宮全体の模型を見たあとに、博物館(フランスか
ら輸入したというカットガラスのベッドがすごい)、復旧された王宮の中心部
の建物を見学する。ちょっと法隆寺的な木造建築だ。
マンダレー王宮にて日本語学校学生さん達と(OZ)
マンダレーヒルでは、眼下に、チーク材の集積所、魚の養殖池、イエナダ
ハンセン病病院へ向かう道、漢方医学大学や大きな刑務所、ゴルフコースなど
が見える。夕日がイラワジ川の向こう側に沈むのを見ながら、色んな話をす
る。ミャンマーの保健医療システム、公立病院と私立病院、保健所、母子手帳
と子供のワクチン等々。日没は18時頃で、そのままホテルに帰って、学生さ
ん達と別れる。夕食はホテルのレストランでチキンカレーを頼むが(6ド
ル)。タイカレーでそれなりにおいしいが、やっぱりインドのチキンカレーが
食べたい。明日は出発が早いので、荷物をまとめて、22時すぎに就眠する。
マンダレーヒルから望む夕暮れ(Rollei 35S)
【2月20日(日)】マンダレーからヤンゴンへ戻る 快晴
5時40分に起床し、6時に朝食をとる。7時にホテルをチェックアウトして、尾崎先生と一緒にJICAの車でマンダレー空港に向かう。途中の村ではスイカやトウモロコシなどの果物・野菜を山積みにして売っている。空港に8時前について、定刻9時のAir
Baganに乗る。来たときと同じMD81に似たリアジェットのFokkar 100
(TC-IED)は自由席で満席だ。15分ほどでインレー湖の北の町Hehoに着陸し
て、日本人ツアーなどほとんどの客が降りる。再びほぼ満席となり、ヤンゴン
に11時前に到着。JICAの車で迎えてもらい、トレーダーホテルに到着。部屋
は19階の1907号室。お昼は中華饅頭一個だけで済ませて、会議の準備のため
に部屋で日本から持ってきた本を読みこむ(Antia
NH and Shetty VP. The peripheral nerve in leprosy and other neuropathies.
Oxford University Press, 1997)。
18時に尾崎先生と一緒に歩いて、ホテル近くの日本料理店
(2階)の下にあるレストランでシャン料理を食べる。豆腐のサラダ、具だく
さんのシャンヌードル、八宝菜のような炒め物、高菜チャーハンで、どれもあ
っさりしていておいしい。ビールを含めて6000チャット。帰りに高級スー
パーCity
Martをのぞいてから部屋にもどる。日本の食材もそれなりに売ってい
た。しばらくすると、日本から畑野研太郎先生(2000年5月から長期専門
家として2年ほどミャンマーに滞在)が到着し、ロビーでしばし歓談。明日の
朝までに会議資料を渡さないといけないので、ちょっと頑張って0時すぎまで
仕事をして、0時半に就寝。クーラーの効きが悪くて、ちょっと蒸し暑い。
【2月21日(月)】ヤンゴン 快晴
6時40分に起きて、7時から朝食。8時からホテルのロビー
で、石田先生、藤田さん、尾崎先生、畑野先生と一緒に、コンピュータを使っ
て会議資料(パワーポイント)の確認をする。今回のハンセン病後遺症予防の
ための会議では、神経障害の発症機序について話すことになっているが、他の
演題との役割分担について最終的な調整だ。9時20分にホテルを出発して
CSSCを訪問。昨年の研修に出た主任技師のMr.
Tun Aung Kyawと、昨年は新人だったMs. Lwin Lwin Choが検査室で迎え
てくれるが、Ms. Mu Mu Khinは産休で、別のちょっと背の高い女性技師(Ms.
Yu Yu Khine)が入っている。Kyaw Kyaw先生と会議で話す内容の打ち合
わせをしてから、JICAプロジェクト事務所で、さらに会議発表の準備をする。
打ち合わせをする尾崎先生とチョーチョー先生(Dr. Kyaw Kyaw)
お昼は、近くの店で麺料理と揚げ豆腐を食べる。15時すぎに、会議資
料の訂正を終了して、データをUSBメモリーで渡す。昨年はUSBメモリーを持っ
てきていなかったので毎回CD-Rに焼いていたが、今年はデータの受け渡しは楽
だ。その後で、プロジェクトの発表スライド作りの手伝いなどをする。
18時すぎにホテルに戻って、19時に石田先生、畑野先生、
尾崎先生と4人でアショカというインド料理店に行く。ここは高級インド料理
店で昨年も一度行ったことがある。タンドリーチキン、魚のカレー、チキンカ
レー、マトンカレーなどを食べるが、辛すぎずにおいしい。23時に就寝。
【2月22日(火)】ヤンゴン 快晴
午前中はホテルの部屋にこもって、発表の準備とこれまでの活
動報告書作成をする。お昼はTokyo Fried Chickenというハンバーガーショッ
プで、チキンバーガー・コールスロー・紅茶で1000チャット。
午後はまず尾崎先生と一緒に歩いてCSSCに行き、Kyaw Kyaw先
生と発表内容の打ち合わせをする。その後でホテルに帰り、畑野先生も合流し
て、会議のあるセドナホテルに車で行く。会場についてみると、スタッフ総出
で忙しそうにパネル展示の準備をしている。お手伝いという名目で邪魔?をし
て、18時すぎにホテルに帰る。
夕食はホテルのレストランでチキンカレーを食べるが、昨年の
インド風よりもややタイ風だ。21時に部屋に戻り、藤田さんに連絡して一緒
に2階のラウンジに行く。カクテルを飲みながら、彼女の発表原稿の英文の手
なおしを手伝う。ここのシンガポール・スリングはイマイチの味だ。やはり
Singapore
Slingは鹿屋のGoken's Barの本造りがベスト。22時30分に終了。指導料
として、カクテルは藤田さんにごちそうしてもらう。藤田さんはこれからまた
セドナホテルに行くとのこと。シャワーと洗濯をして、24時に就寝。体調は
良い。
【2月23日(水)】ヤンゴンでの諮問会議の1日目・発表 快晴
11時から開会式。保健大臣(Prof. Kyaw Myint)も出席して
いるので、テレビ局のカメラが来ている。
開会式での保健大臣の挨拶
開会式は30分で終了し、昼食。ここで隣に座ったのは、ヤンゴン医科
大学の脳外科教授だったDr. Aung Kyawで、1960年代に東京大学に留学し
ていたことがある実力者だ。日本語が上手なのに驚く。
午後にMechanism of nerve damage in leprosyの発表。予演では15分
程度だったが、実際には約20分で発表し、質疑が約10分あった。ステロイ
ド以外の免疫抑制剤の効果など。それぞれの発表に対して複数の質問やコメン
トがあり、かなりつっこんだものもある。発言するのはやはりエライ人達が多
いが、現場のチームリーダーからの質問も少なくない。昨年の3管区会議でも
感じたのだが、軍政下で強固なタテ社会であるミャンマーであっても、様々な
立場の人達が混ざったグループワークでの共同作業を繰り返すことなどを通じ
て、自由に自分達の考えを述べることができる雰囲気は、気持ちがよい。そし
て、日本の税金がこのような保健関係の人材養成・能力開発に有効に使われて
いることによって、軍事力や外圧によってではなく、内部からこの国の民主主
義を成熟させているのではないかと感じる。
会議での後藤の発表
会議は17時に予定通りに終了し、19時までお茶を飲んで過ごす。1
9時からレセプション。中華料理だが、なんと会場には最初からカラオケがセ
ットしてある。疾病対策部長Dr.
Kyaw Myint Seinがカラオケ好きのためらしいが、これには驚き。しかも、
僕も歌わなくてはならないらしい。日本語の曲も200曲ほどあるが、ほとん
どが聴いたことのない演歌か最近の若い人の曲で、歌えそうな曲は2〜3曲し
かない。これは大変。結局は竹内まりあの「恋の嵐」を人前で初めて、やっと
歌って乗り切った。
カラオケを歌い終わって嬉しそうなDr. Kyaw Nyunt Sein(立っている人)
歌の後で、保健省副大臣(Prof. Mya Oo)にThida Aungさんが日本でとて
も良い仕事をしていることを話す。副大臣が退席する時に、講演者に謝礼の記
念品(色んな石を使った砂絵)が贈呈される。
保健省副大臣から記念品を贈呈される
【2月24日(木)】ヤンゴンでの諮問会議の2日目・グループワーク 快晴
会議中と、休憩時間の、Tin Myint先生の言葉。「ハンセン病
回復者が首相と握手している場面を放送するのは、差別を助長することがあ
る。普通の人が首相と握手しても話題にならないのに、「特別な人」が握手を
するのはニュースだからだ。それよりも、社会的・経済席に成功して、人間と
しての尊厳を持っている「普通の人」が社会にいること、そのことを知らせる
ことのほうがインパクトは大きい。」「闘わなければ、勝利の可能性はない。
40年前には、いわれのない差別を避けるために、自分がハンセン病のために
働いてることを隠す気持ちを持った人が多かったが、今はそうではない。黙っ
ていてこうなったのではない。繰り返し繰り返しハンセン病について啓発して
きた結果だ。ハンセン病回復者がもっと社会に受けいられるようになるのに
は、10年・50年、いやひょっとすると500年かかるかもしれないが、闘
いは続けなければならない。」
16時半から、この会議の閉会式。インドのゴカレ先生の言葉
「医者はハンセン病患者のことを「症例」と呼ぶ。しかし、ひとりひとりは顔
を持った人間だ。」「ハンセン病は抗酸菌によっておこる病気で、皮膚と末梢
神経を侵す。しかし、ハンセン病は人間そのもの(Human
being)を侵すことはない。」
石田裕先生の最後の挨拶を、参加者全員がしんとなって聴き入
る。真情がこもった、心からの言葉が胸をつく。僕自身としては、5年間のプ
ロジェクトの最後の大きな会議にこうやって参加できていること、たくさんの
エネルギーをもらえたことに、感謝するしかない。
閉会式の石田裕先生の挨拶
19時から、保健省側からの返礼のレセプション。JICAのミャ
ンマー事務所長の佐々木さんもみえているが、開会式に保健大臣が出席するこ
とだけでも異例なのに、昨日の夜のレセプションでは保健省副大臣が出席し
て、参加者があんなに和やか談笑していたのは、このプロジェクトがいかにこ
の国にとって重要なのかがわかると話す。
【2月25日(金)】会議とCSSC 快晴
午前中は、国際医療センターの研究費で研究をしているミャン
マーの研究者達の年次研究発表会議を、石田先生、HIV/AIDS専門家の宮本先
生、馬渕次長、尾崎先生と一緒に、保健省2階の会議室で聴く。マラリア対策
における蚊帳の効果、病院の医療従事者におけるB型肝炎抗原陽性率調査、基
礎保健サービスに対する住民の満足度調査、下痢の疫学などだ。きちんとした
手続きを経た疫学調査だが、データの解析がまだ少し甘い印象なので、黙って
聴いているつもりだったが、つい質問をしてしまった。お昼はミャンマー料理
レストランで、一人2000チャット。
午後からCSSCのKyaw Kyaw先生のところに行き、組織標本の質
をチェックして、顕微鏡用のデジタルカメラのセットアップを行う。ところ
が、このデジカメの画像は、顕微鏡側のリレーレンズのカビのために、ひどい
状態だ。なんとかしないと使い物にならない。来週にがんばることにする。
顕微鏡にセットしたデジタルカメラ(Canon EOS kiss digital)と、それで撮
影した最初の画像(ちょっとひどい)
夜はThida Aungさんの家族5人と一緒に、くだけた感じのミャ
ンマー料理レストランに行く。息子のカンカンちゃんは3歳を過ぎて、元気
だ。日本には2ヶ月しかいなかったが、まだ少し日本語を覚えているという。
内科医のご主人は消化器を専攻することになっているが、内視鏡を勉強したい
とのこと。ところで、ご両親は先日のテレビニュースで、会議の開会式に出席
している僕を見たという。寝る前に、鹿児島のブックオフで買ってきた「シン
ドラーのリスト」を文庫本で読み始める。
【2月26日(土)】休日・宝石博物館 快晴
早朝のヤンゴンの街角(Rollei 35S)
7時半に朝食。9時にタクシーを拾って、藤田さんの案内で馬渕次長、尾
崎先生と一緒に、カンドジー湖に新しく出来た公園の中にあるおみやげ屋さん
に行く。貝殻細工を中心の店で、ご主人は日本に来たことがある女性だ。貝殻
の箸置を買う。その後、ボージョーマーケットを見て回る。ビルマ語の書いて
あるTシャツを買って、この中でお茶を飲む。
12時すぎに再びタクシーに乗り、宝石博物館に行く。4階建
ての建物の一番上の階にある博物館に5ドルの入場料を払って入ると、ミャン
マーで産出される鉱石・宝石の原石とカットしたものが系統的に並べてある。
化学式が書いてあるので、ルビーが酸化アルミニウム
(Al2O3)、スピナールが
MgAl2O4だということがわかる。化学式と宝石を比べ
て熱心に見ていると、係の男性がやってきて説明してくれる。ここにあるルビ
ーの中で最高のものという深紅のルビーは、さすがに色の深さと輝きが違う。
Magogで採れるルビーが一番質が良いが、それよりもやや質の劣るMong-Shuの
ルビーの場合には、約1000℃に熱することで透明度と輝きが増すのだという。
世界で最大のルビー原石があるが、ほどんどが赤みをおびた乳白色の中に、少
しだけ透明感のある赤い部分がある。これから透明なルビーを切り出すのは相
当に難しそうだ。ところで、同じ名前の宝石でも赤や青などの色があるのは、
含まれる微量金属によって発色するからだろうか? その説明はない。ここで
一通りの勉強をしたあとで、下の3フロアにある店をざっと見て回る。
昼食は14時すぎにホテルの横にあるカフェ・アロマでスパゲ
ティとコーヒー。昨年はのびきった麺だったが、今年は少し締まりが出てきて
いて満足だ。ホテルに戻って一休みする。17時すぎから5階の屋外にあるプ
ールで30分ほど泳ぐ。
夕食は、畑野先生、尾崎先生と一緒にホテルのレストランでシ
ーフード料理のバイキングを食べる。レストランの係の女性が、僕達がミャン
マー語の書かれたTシャツを着ているのを見つけて、ミャンマー語のレッスン
になる。診察室の経験からロンジー(男女共にズボンやスカート代わりにはく
衣装)の下にはパンツなどはその下に着ていないと話すと、たしかに農村の人
達はほとんど下着を付けないが町中の普通の人はちゃんと下着を着ているとこ
の人が説明する。この話から僕達が医者だということがわかり、何の仕事で来
ているのかを訊かれる。ハンセン病の医療協力だと答えると、これまで冗談ま
じりに話していた人が急に真顔になって、それは大事な仕事で、このホテルに
泊まってもらえるのはとても名誉なことだと言う。「シンドラーのリスト」を
読み終える。
【2月27日(日)】休日・国立民族村へ 快晴
昨年の今日は、ミャンマーでの講義中に母の突然の訃報を聞い
た日だ。その一周年にまたミャンマーに来ている。あの時の驚き、そして
JICAの人々の暖かい心遣いを思い出す。
畑野先生は6時前にホテルを出て、マンダレーに向かってい
る。尾崎先生と二人で7時半に朝食をとり、Thida Aungさんのご主人の
Dr. Wunna Hla Shweの案内する車で、Thanlyinの手前、Bago川の右岸に
ある国立民族村(National Race
Village)に行く。ここは、ゆったりとした敷地に代表的な民族の家が建ててあ
り、その生活の概略を見ることができる。ほとんどが高床式で大きい。199
9年にタイ側からカレン族の村に行った時の事を思い出し、懐かしくなる。ヤ
ンゴンに戻って、International
Hotelの中のレストランMillion Coinで、中華麺を食べる。その後でホ
テルまで送ってもらい、2時間ほど昼寝をする。夕方に、少し荷物の整理をす
る。
夕食は、スタジアムの北にあるシャン料理Shan Man Myae(雲
南料理店)に行く。二度目だが、ここの豆腐サラダと麺はおいしい。焼餃子も
まあまあだ。
=ミャンマーの食べ物について=
典型的なミャンマー料理というのは、油っこいカレー風味の肉や魚それに野
菜炒めというイメージだ。これらを白いご飯にカレーライスのようにかけて食
べる。たいていの場合には、生野菜も付いてくる。タイ料理ほど辛くなくて、
味そのものは日本人にちょうど良い。しかし、使っている油がピーナッツ油で
ちょっとしつこいので、毎日食べているとちょっと胃にもたれてくることがあ
る。そんな時には、シャン料理がお薦めだ。ミャンマー料理よりも中華料理に
近く、しかも油っ気が少なくて、日本の惣菜に近い。お気に入りの豆腐サラダ
は、硬い田舎豆腐を短冊に切って、ショウガやニンニク、つぶしたピーナッ
ツ、魚醤などで軽く炒めたもので、ビールのおつまみに最高だ。
ここで、ピーナッツの話がでたので、小粒のピーナッツについて書いてお
く。これは昨年マンダレーで初めて食べて病みつきになったものだが、日本の
大豆と同じくらいの大きさで、油っけが少なくて深い味のするピーナッツだ。
マンダレー近くの瘠せた土地で採れるものなので小ぶりの「貧弱な」ピーナッ
ツだと現地の人はいうが、普通のピーナッツよりも僕にはずっとおいしく感じ
る。昨年は普通のスーパーマーケットで見つけることができず、道ばたの露店
でやっと見つけたものだが、今年は高級スーパーのCity
Martでも売っていた。
また、白い米の麺を使った麺料理も、あちこちで食べることができる。スー
プ麺と、香辛料などを絡めて食べる麺があるが、シャンヌードルで鶏のスープ
を使ったものが僕の好物だ。
ミャンマービール(緑のラベル)もコクがあっておいしい。ラムはGalaxy
Rumという赤いラベルのラムが飲みやすいが、サトウキビの香りの残ったマン
ダレーラムも捨てがたい味だ。
【2月28日(月)】ヤンゴンCSSC 快晴
7時半に朝食。ちょっと脂っこい食事で胃腸が疲れているの
で、おかゆだけを食べる。9時15分に尾崎先生と一緒にホテルを歩いて出発
し、9時半からCSSCで仕事をする。
まずは、デジタルカメラの調整だ。今朝に技術者が来てレンズ
内部のカビを掃除してくれたので、金曜日にひどかった画像がかなりまともに
なる。とはいえ、まだ全体に曇った画像なので、完全とはいえない。途中のプ
リズムのカビをどうにかして取ることができると良いのだが、へたに触ってだ
めにしたくないので、ちょっと躊躇する。
次に、組織標本作製の指導をする。昨年にここで標本を作り始
めてからちょうど1年になる。Kyaw Kyaw先生によると、僕がいなくなってか
らしばらくは標本がきれいだったが、その後で標本の質が落ちたとのこと。先
週の金曜日に、最近のパラフィンブロックと標本を見せてもらった時には問題
ないと感じたが、デジカメで撮影してみると、HE標本のエオジンかすが気に
なる。切片そのものは綺麗なので、惜しい。そこで、染色の全ての過程を午後
にやってもらうことにして、脱パラフィンを依頼する。染色に関して、困って
いることがないかと聞いてみると、日本から昨年持ってきたマツナミ製のスラ
イドグラスの残りが少ないとのこと。昨年こちらのマーケットで買ったスライ
ドグラスの質が高かったので、今回は持ってこなかったのだ。Papa
Khinさんに、ヤンゴンで買えるスライドグラスを1箱買ってきてもらう
ことにする。
昼は、ホテルの近くのタイ料理レストランで、麺を食べる。あ
っさり味で、多すぎないのが良い。一人1500チャット。午後になって、H
E染色をやってもらうと、染色が終わったあとで、封入前に乾燥させている。
これを、アルコール系列での脱水に替えてもらうと、エオジンかすはなくなっ
たが、エオジンの色が薄すぎる。明日に、もうちょっとエオジンを濃くしてや
り直してもらうことになる。その後は、デジカメのセットアップの続きをす
る。カメラに同封されていたCDをコンピュータにインストールして、カメラ
の画像を移すことができるようにしたり、フォトショップでコントラスト補正
をしたりして、段々と使える写真にしていく。
最後の1時間足らずは、この1年間の診断困難例のレビューを、ディスカ
ッション顕微鏡でする。Kyaw Kyaw先生はこういった症例を議論できる相
手がミャンマーにいないので、議論に熱が入る。この間に、Papa
Khinさんが市場で仕入れたシリカゲルをオーブンで乾燥させる。買ってきても
らったスライドグラスのほうは、ほぼ問題ない質だ。汚れは洗剤かアルコール
で洗ってから使うことを薦める。また、スペアのミクロトーム刃をミクロトー
ムに取り付けて、サイズが合っていることを確認する。昨年は新人でまだ遠慮
ぎみだったMs.
Lwin Lwin Choが、今年は見違えるように頑張っているのは嬉しい誤算
だ。17時すぎに今日の仕事を終わり、ホテルに歩いて帰る。夕食は、尾崎先
生と一緒に、ホテルのレストランで簡単に済ませて、報告書の準備をする。
【3月1日(火)】ヤンゴンCSSC 快晴
ミャンマーに着いてから一度も雨が降らない。乾期だからとい
えばそうだが、ほこりっぽい毎日だ。いつものように7時半に朝食。9時半か
らCSSCで仕事を始める。6角レンチを買いに行ってもらい、顕微鏡の3眼鏡筒
を分解して、プリズム上下のカビ取りをする。

顕微鏡の分解掃除を心配そうに見守るスタッフ達
その間に、今年の皮膚生検の診断チェックをする。昨年にKyaw
Kyaw先生に「限られた時間で病理診断を書くためには、チェックシートシステ
ムにしておくと抜けがなくて良い。」と話していたら、ちゃんと自分で書式を
作ってそれに書いている。ほとんどが彼の診断通りだが、未定型群ハンセン病
症例で、神経の中に1個の抗酸菌を発見。
昨日改善したつもりのエオジンかすだが、実は原因が別のとこ
ろにあることがわかった。Lwin Lwin Choが、シラン処理したガラスでエオジ
ンかすが出ると言うので、良く観察してみると、どうもシランの薄い膜に穴が
開いてそこから剥がれかかっており、そこにエオジンが溜まることがムラの原
因なのだ。今後、HE染色は未処理ガラスですることにして、問題は解決し
た。また、昨年からの標本を見直してみると、時々標本の状態が悪いことがあ
るが、それはほとんどが処理グラスのHE標本だということがわかる。抗
BCG免疫染色は染まっているが、ちょっと染まりが悪い。陽性対照の必要性に
ついて話す。
12時すぎに石田先生と藤田さんが見えて、一緒にDOHに行っ
て、近くの食堂で土鍋に入ったシャン風のみそ煮込みうどん?を食べる。雲南
省(シャン)が日本人のルーツという説が納得できる味だ。JICAプロジェクト
オフィスで少しレポート書きをしてから、CSSCに戻る。
CSSCでは、Kyaw Kyaw先生がデジカメでさっきの神経内の抗酸
菌の写真を撮影して、「カビがなくなって、綺麗な写真が撮れるようになっ
た。」とご満悦。確かにほとんど問題のない質の写真が撮れている。
掃除後のすっきりした画像
最近の症例でまだ診断が出来ていなかった7例を、ディスカッション顕微
鏡で一緒に見て、必要なところは僕がデジカメで撮影する。後でピントを見て
みると、ほぼ合っている。少しずつ改善してきたわけだ。途中で、重要な所見
は、3人の技師さんにも交代でのぞいてもらう。17時前にこの作業を終了
し、今日の仕事は終わりとする。歩いてホテルに戻り、一休みしてから、日本
語報告書、英文報告書、発表会でのパワーポイントファイルの作成を進める。
夕食は、ホテルから歩いて5分ほどのところにあるちょっと高
級な外国人向けのカフェで、チャーハンとビーフン風の麺を食べる。どちらも
おいしく、チャーハンは日本のものによく似ている。
【3月2日(水)】ヤンゴン 農民の日で休日 快晴
今日は国民の休日で仕事は休みだ。6時半に起きて、7時半に
朝食。午前中は報告書の作成。お昼はカップケーキと紅茶だけで済ませて、午
後は2時間ほど昼寝。また夕方まで報告書作成や写真の整理をする。夕方にな
るとさすがに飽きたので、プールに1時間ほど浮かんたり泳いだりする。夕食
は、尾崎先生と二人で、またまたShan
Man Myaeでシャン料理を食べる。豚骨スープ(沖縄そばの麺抜きという
感じ)、グリーンサラダ(タイのものほど辛くない)、卵白と鶏肉の炒めもの
(これはお薦め)、白いご飯を食べる。ビールを1本飲んでも二人で4300
チャットなので、ここはやっぱり安くておいしい。部屋に帰って、報告書をほ
ぼ仕上げる。
Shan Man Myaeのシャン料理(OZ)
【3月3日(木)】ヤンゴンCSSC & JICA project office 快晴
7時に起床。7時20分にThida Aungさんのご主人(Dr.
Wunna Hla Shwe)とホテルで会って、Thida
Aungさんへ届けるCDを預かる。7時半に朝食で、エビの入ったお粥を食べ
る。9時半からCSSCで仕事。PaPaKhinさんに報告書案のファイルを渡す。今年
の病理標本があと4例残っていたのでそれらを診断する。Dr.
Kyaw Kyawの書いた診断と完全に一致した。標本の質もほぼ問題ない。
LLの症例をデジカメで撮影する。10時半から2階に上がって、皮膚科の新
人医師に、ハンセン病の病因についての講義を行う。そのあとちょっとした時
間で、検査室の血清検査について話を聞く。中国製の分光光度計と遠沈器が
JICAから新たに供与されており、毎月約20例の血清検査が行われている。お
昼はKyaw
Kyaw先生の招待で、レストランで麺料理を食べる。
午後はJICAプロジェクトオフィスでデスクワーク。17時すぎにホテル
に帰る。夕食は、まだ行ったことのなかったホテル2階の中華料理店で、尾崎
先生と一緒に食べる。ちょっと西洋風の中華料理だが、脂っこくなくておいし
い。二人で20ドル。荷物をまとめて、これまでの日記を、写真付のHTMLファ
イルへ変換し始める。22時すぎに就寝。
【3月4日(金)】ヤンゴンJICA とDOHで報告 快晴
午前中はCSSCに行って別れの挨拶をしたあと、プロジェクト事務所で報告
書のプリントアウトなど。お昼は、田中さん、尾崎先生と一緒に、カフェ・ア
ロマでスパゲティ。
14時からJICAオフィスで、活動報告を行う。ここはミャンマーにおける
JICA活動の本部で、ハンセン病のプロジェクトはそのひとつの活動として行わ
れている。プロジェクト担当の青木さんは若くて物腰の柔らかい紳士で、報告
を注意深く聴いている。後藤の報告書の一部「ミャンマー国のハンセン病対策
に従事する全ての医療従事者、そして患者・回復者に対して、「あなたがたの
存在や仕事は重要で、国外からも常に関心と敬意を持ち続けている。」という
事を伝える続けることは、彼らの活動意欲を維持・強化するために何よりも重
要である。今後のフォローアップ事業において、この点が配慮されることが望
まれる。」 質疑応答を入れて約1時間で終わる。ホテルに戻って荷物をまと
め、チェックアウトする。
JICAでの活動報告
16時半からは、保健省の要人(DOHのDirector General以下5名)への
離任挨拶。今後の活動への提案などを含めて、約30分ほど話す。17時すぎ
に尾崎先生、石田先生、田中さんと一緒にプロジェクトオフィスを出発して、
ヤンゴン空港に向かう。
石田先生と田中さんに別れを告げ、荷物を預けてしばらく休憩。昨年も感
じたのだが、ここの国内線待合室はこぢんまりとしていて、日本の小さめの地
方空港というところ。バンコクへ向かうTG306便(A300)は19時45分の予定
だったが約30分遅れて、20時15分に離陸。座席は14B。隣は若いアジア
人男性。ローストチキンとサラダの軽食が出る。バンコクには20時10分到
着。ここの乗り継ぎカウンターで福岡までの便の搭乗券を発券してもらい、尾
崎先生とラウンジで休憩。ジュースを飲んで、トイレの横のシャワー室でシャ
ワーをして冬服に着替える。さっぱりして気持ちがよい。尾崎先生は関空に向
かう0時の便で出発、僕は1時発のTG648便(A300)に乗る。座席は12B。隣は年
配の日本人男性。この便は空席が多く、隣の人は別の席に移動した。離陸はち
ょっと遅れて2時前で、日本時間では午前4時ということになる。オープンサ
ンドが少し出る。ビールを飲んで、睡眠薬を飲んで眠る。
【3月5日(土)】福岡着・鹿児島へ 雪で寒い
日本時間7時前にプレーンオムレツの朝食が出て、8時すぎにTG648便は
福岡空港に到着する。みぞれが降っていて寒そうだ。9時前にJALの国内線タ
ーミナルに移動でき、12時10分発の便を9時20分発の便に変更してもら
って搭乗する。雪のために約30分遅れで鹿児島に到着。空港に頼子と愛子が
迎えてくれる。やっと帰ってきた。
今年は、昨年と比べたら楽なスケジュールだったが、それでも非日常業務
の連続だったので、それなりに気疲れがした。このプロジェクトは一応終了し
たが、フォローアップなどでまだ付き合いは続くことと思う。留守を守ってく
れた家族と仕事場の仲間達に感謝して、今回の日記はこれで終了する。