医局の時代

 

 かなり以前から医師や看護師をはじめ医療従事者は、養成過程で患者さんに奉仕するものと教育され聖職者と称されてきた。政治がそのような状況を作ったのかどうかは知らないが、その高邁な精神も医師が優遇され余裕を持ってはじめて発揮できるもので、冷遇されていると感じた途端にただの矛盾や疑問になってしまうかもしれない。新医師臨床研修制度施行以降の研修医が待遇を重視する傾向は、指導医層(大学で言えば医員)の疲弊感を助長し、自分たちのやってきたことあるいはやっていることは本当に正しいのかという疑念を生み出している。労働者の考え方としては新しい世代の研修医が正しい。社会の奉仕者あるいは聖職者は労働者であってはならないのだろうか。現場の指揮官としては自衛策を提案してやりたい。

 自衛策にはいくつかあるが、第一は「小児医療の需要があるから応えなければならない」という間違った義務感を捨て、小児科医のできる範囲を明確にして社会に提示することである。小児医療の需要は約100年前の小児科医の登場以来自らの存在感を示すべく創出されたものである。このように書くと苦労された先人に失礼な表現になるが、意識改革を目的に「本当に小児科医でなければできない仕事は何か」と自問すると実は限られた範囲になってくる。その証拠に、園医・校医が小児科医でなければならないと考える校長あるいは小児科医は少ないであろう。また、小児科専門医がいない離島で子どもは育たないのか、明らかに否である。勤務医であればオフの日を必ず設定し、どんなことがあっても病院へ行かないし、病院もオフの医師にコールしない。いつも誰かが待機しなければならないという職業は当直制ではなく、交代勤務制であるのが一般の社会常識である。医師の応召義務は医師法第19条に定められているが、労働者の保護という観点から勤務医師の健康保持のための休息は「正当な事由」であると考えたい。

 第二は小児科医の交渉能力を向上させることである。陰で不平不満を述べることは誰にでもできるが、理論的にしかるべき方法と場所でシステムの改変を交渉することは誰にでもできる訳ではない。時代とともにすべてが変化しているのであるから、病院内あるいは病院間連携の方法が変わるのは当然である。いつもまでも病院の機能を変えずにおくことは衰退を招く。特に小児科は患者さんが20年継続して受診するはずがなく、5年も経てば患者さんは入れ替わる。同時に保護者も入れ替わり、最近では時間外に受診した患者さんから感謝されることはなくなりつつある。小児医療に対する需要も変化する。クリニックが多くなった地域の病院で一次外来をする必要がどこにあるだろうか?診療報酬制度も入院治療に関連する分野に手厚くなっている。今後もその傾向は続くであろう。交渉下手な小児科医はその人の良さで限界まで働き、ついには力尽きて立ち去って行くということになりやすい。自らの勤務場所を改善し継続して良質の小児医療を提供する方が、一時的に滅私奉公するよりはるかに社会的貢献度が高いことを知っておきたい。

 第三に重要なことは、まずは家族を含めた自分の所属する組織を守らなければならないという意識である。身内を守れない人物が他人を守れるはずもないし、ましてや病気の子どもたちの役に立てるとは思えない。病院が小児科医を保護してくれることも少ない。患者・保護者が小児科医を守ってくれることは非常に少ない。厚生労働省が個人の生活を保障してくれることはない。私たちは医局という集団を組織して自衛しなければ、「子どもたちのためによい医療を提供する」ことはできない。好きで小児医療に携わっているわれわれ小児科医は、病気の子どもたちのために自衛しなければならない。今こそ医局制度の時代である。

 話は変わるが、今年はうれしい報告ができる。久しぶりに、しかも複数の入局者が決定していることである。新制度導入以降、研修医は2月にならなければ意思表明しなかった。来年度は入局者がゼロではないという安心感を持って新年を迎えられた。医局長はじめ各医局員に感謝する。勇ましい自衛策提言に似つかわしくない「ささやかな喜び」であるが、これをきっかけに潮目が変わってほしいと願うばかりである。

 

(小児科学教室同門会誌南天2009号巻頭言より抜粋)