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ライフワーク |
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1982年(昭和57年)だったと記憶しているが、研修医2年目に初発の白血病(ALL:acute
lymphoblastic leukemia)患児を担当した。当時、聖路加国際病院の小児病棟は末期患児の紹介先のようになっており、研修医として担当する白血病など小児がん患児は多いものの、診断時から寛解導入療法を担当できることは少なかった。この2歳の女の子は私が担当した初めての初発症例であり、入院の説明のときに病棟の廊下の椅子に腰掛けた母親に抱かれたかわいい女の子であった。白血病特有の発熱や出血傾向は認めなかったと記憶している。両親は鹿児島県の出身で仕事で千葉県に赴任中の出来事であった。寛解導入療法終了時に、毎日触診している肝臓が小さくならないので、主治医(指導医)の細谷亮太先生に寛解にならないのではないか、と心配そうに報告した。それから数か月間の入院治療でMちゃんは元気になって外来治療になった。外来治療は主治医(attending
doctor)の担当であるため、それ以降に会う機会はなかった。 2005年に鹿児島大学の教授室に若い女性から電話があり、「Mと言います。自分の担当医だった先生が鹿児島大学小児科にいるということで、聖路加病院の細谷先生から相談に行くように言われました。」という内容だった。母親に抱かれた女の子の記憶はすぐに蘇った。数日後、私の部屋に20代半ばのMちゃんが現れ、私は研修医時代の自分に帰って親しく話をした。もちろん本人は闘病のことや私のことは覚えていないが、自分の病気のことをよく知っている先生が鹿児島にいたということで驚いた様子であった。訪問の趣旨は結婚が決まったので、風疹の予防接種をどのように計画したらよいかという内容であった。早速、住所に近い〇〇市の病院を紹介した。 今年になって△△市に引っ越したとの連絡と、昨年生まれた長女が元気であるとの報告をもらっていたが、11月下旬にご両親と子どもさんを連れて教授室を訪ねてきてくれた。25年ぶりにご両親と会い、Mちゃんと子どもさんの様子に感激しながら闘病当時を振り返った。現在では当たり前になった白血病を克服した患児の結婚・妊娠・出産であるが、当時は診断時(聖路加病院へ紹介前)には残り数ヶ月の命であること、万が一生存できても結婚などはとんでもない、まずは命を最優先にするという内容の説明を受けたらしい。確かに、当時は多くの子どもたちが亡くなっていた。 ライフワークとは広辞苑では「一生をかけてする仕事や事業」となっているが、自分なりの解釈は「自分が生きた証を残すこと、あるいはそれを残せる仕事や事業」と考えている。医学の世界では新しい治療法を開発したり、新薬になる物質を発見したり、大きな仕事はたくさんあるが、誰にでもできる内容ではない。能力だけの問題ではなく、運も大きいと言われる。我々臨床現場の医療従事者は、日常の業務が直接人の命に関わることであるが故に、他の仕事に比べて大きなやりがいを感じられる可能性が高い。特に、子どもを対象とした小児科医は病気の子どもを救うことで日本の将来に大きな貢献をしている、といつも医局員に語りかけている。研修医時代の小さな役割であるが、Mちゃんの人生には私の存在も大きな貢献ができたと思うし、その子どもさんの誕生にも影響したと思いたい。 自分の専門分野である造血細胞移植術で助かった患者さんの中には、もうすぐ医学部を卒業する学生もいる。彼はできたら血液学の世界に進みたいと言っている。彼がまた病気の患者さんをたくさん救ってくれることを期待したい。社会的にはまだまだ半分くらいの医師人生であるが、今回の楽しい再会は小児科の特徴である「投資の医療」を実感できるものであった。ライフワークを何に求めるかは個人の価値観の問題であるが、医師という職業に従事するときにライフワークを改めて捜す必要はない。それだけ高邁な職業であると思う。 |
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2007年12月 |