教授の雑文

井上博雅教授の雑文

雑誌「呼吸 2011年6月号」

2010年12月

 私が臨床研修をはじめた1980年代半ば、喘息発作の予防的管理法として、短時間作用型吸入β刺激薬のregular useが推奨されていました 注)。救急医療や呼吸管理に明け暮れ、気管支を絶えず拡張させようと吸入指導をした時代です。しかし、喘息発作で救急外来を受診する患者があとを絶たず、喘息のコントロールは困難な状況でした。このとき、病気の仕組みを解き明かす研究が重要で、喘息の病態、特にその特徴である気道過敏性亢進の発症機序を解明することが必要であると認識させられました。

 以後、気道過敏性の機序に関する研究が進み、喘息は好酸球浸潤を伴う慢性の気道の炎症性疾患であり、気道炎症に伴って気道過敏性が生じるという現在の考え方が確立しました。また、吸入ステロイド薬を用いた抗炎症治療の臨床的な有効性が実証され、喘息の治療は飛躍的に向上しました。

 しかし、高用量の吸入ステロイドにその他の長期管理薬を併用してもコントロール不良の重症喘息が存在します。診断も適切、アドヒアランスも良好であるにもかかわらず、十分な治療効果を示せない症例です。このような難治性重症喘息は、成人喘息患者の5~10%に相当します。また、吸入ステロイドで十分に気道炎症を治療しても、喘息患者の気道過敏性が正常化することは困難で、健常者よりもはるかに亢進しています。即ち、吸入ステロイドのみでは喘息の治療が不十分なのは明らかです。

 米国のUniversity of California San Francisco 心臓血管研究所(CVRI)に留学していたときに分子細胞生物学的手法を学び、肺でのサイトカイン発現、呼吸器感染症とケモカインの関連の研究を行いました。また、サイトカインのinvivoでの作用はあまりに強力であり、これらのサイトカインによって惹起された炎症が、いかにして終息するのかという生体内でブレーキ役の存在に関心をもちました。
1994年に帰国後は、このサイトカインとサイトカインシグナルの制御因子に着目して、分子細胞生物学的な成果を生体として評価する呼吸生理学的な視点からまとめ、喘息やCOPDのメカニズムの解明に取り組もうと考えました。当時注目されはじめた誘発喀痰サンプルや留学中に学んだ手法を利用して、幸いにも、喘息やCOPDの気道炎症にもサイトカインが関与していることを明らかにすることができました。
ちょうどその頃、IL-13が気道構成細胞に作用して喘息の気道炎症と気道過敏性亢進を惹起することで、喘息の発症に中心的な役割を担っているというマウスモデルを用いた報告が発表されました。そこで、IL-13により惹起される喘息反応へのステロイドの効果を検討したところ、気道過敏性亢進や気道リモデリングなどはステロイドの抑制を受けにくいことが判明しました。続いてIL-13が産生、またIL-13が作用する際に、どのようなシグナルや抑制シグナルが働いているのかを明らかにしようと考えました。当時 九州大学生体防御医学研究所(現 慶応義塾大学)の吉村昭彦先生や東京理科大学生命科学研究所の久保允人先生との共同研究により、幸運にもサイトカインシグナル抑制因子SOCSがTリンパ球からのIL-13を含めたTh2サイトカイン産生に影響するという結果が得られ、さらに喘息の病態におけるSOCSの機能解析を進めました。

 まず、IL-13の産生源であるT細胞をみると、アトピー性喘息患者は重症であるほどT細胞のSOCS3発現が亢進していました。これは抑制が十分効いているということなので、単なる反応の結果をみているに過ぎないのではないかと落胆する時期もありましたが、T細胞特異的にSOCS3を過剰発現するマウスやSOCS3を欠損するマウスの解析から、SOCS3は他のサイトカインのシグナルを抑制することでTh分化バランスを決定している、即ちアレルギーの原因の1つであることが判明しました。マウスモデルでは、T細胞でのSOCS3の発現や作用の調節により免疫アレルギー反応を抑制することができるため、これは喘息を含めたアレルギー性疾患の根本的な治療や発症予防になるものと考えられますが、T細胞選択的に細胞内シグナル因子をコントロールするにはもう少し時間がかかるようです。

 一方、IL-13が作用する気道の構成細胞をみると、喘息患者由来の細胞ではIL-13に対する反応が亢進しています。これはSOCS1発現誘導が低下しているためであり、難治性喘息ではサイトカインシグナルの抑制因子による制御が低下していることが喘息反応を持続させているものと考えられます。それを治療に応用するには、SOCSの機能を補えばよいのですから、Jak阻害薬が使えることになります。しかも、気道構成細胞に比較的選択的に薬剤を投与するには、吸入療法という手段があります。特異性の高いJak阻害薬は、IL-13の関与する気管支喘息、COPD、間質性肺炎などの治療薬に十分なり得るものと考え、現在その開発を進めています。

 「研究はロマンである。」研究室の先輩方の口癖でした。
臨床の疑問や問題点が研究のモチベーションとなり、また研究が臨床レベルを向上させます。研究のその努力の殆どは徒労に終わりますが、だからこそ研究を続けて成功した時の喜びはとても大きいのです。

 ステロイド薬を越える創薬、それはまだまだ夢かもしれません。しかし、若いロマンチスト(若い研究者)とともに夢を馳せ、それが病気のメカニズムの解明につながり、さらにその結果を病勢マーカーに応用することや創薬開発に応用することが難治性疾患の患者を救う近道になるのだと確信して研究を続けています。


:強力な気管支拡張作用をもつ速効性の吸入β刺激薬は、現在でも喘息の急性発作には必須の薬剤です。しかし吸入β刺激薬単独でのregular useの有益性は認められず、現代では喘息治療には行われなくなっています。

Science 1998, 282:2258 & Science 1998, 282:2261

( 2010年12月 )