教授の雑文

井上博雅教授の雑文

Scientific Committee of GINA

2015年12月

 世界各国には、独自の医療事情を考慮した気管支喘息の診療に関するガイドラインがある。喘息管理の国際指針(Global Initiative for Asthma, GINA)は、WHOと米国立衛生研究所NIHがスポンサーとなり、最新のエビデンスに基づき発行したもので(http://www.ginasthma.org/documents/4)、各国のガイドラインはこれを参考にして作成されている。
 Scientific Committeeは、GINAを編集・執筆する学術委員会である。世界各地から選出された十数名のGINA Scientific Committeeメンバーが、最新のエビデンスを系統的にレビューし、診療指針を作成する。2013年からその一員になった。このメンバーへの招待状は、NIH/WHOから直接届いた。日本からの推薦はおろか事前の打診もなく、連絡もメールだったので、人違いだと思い、そう返答したが、間違いないという。以前に同委員をされていた大田 健 先生(NHO東京病院 院長)に仕事の内容をおうかがいした。当時の私は、新設されたばかりの講座の主宰、地域医療の底上げ、日本呼吸器学会の2015年度臨床呼吸機能講習会に向けての準備などで多忙な毎日が続いていた。そこで、今の私には荷が重すぎると返事をした。しかし、この仕事は社会貢献(この言葉に弱い)であり、日本からの委員はしばらく選出されておらず、断ればアジアから誰も委員がいない状態が続くなど、半ば脅しのような勧誘に押し切られる形で引き受けた。よくGINA参画の経緯を尋ねられると、映画『紅の豚』のヒロインGinaが好きだからと答えてごまかすが、実は終始腰が引けていたのだった。

 初参加の会合では、2014年全面改訂の〆切が迫っていたので、冒頭から議論は白熱し、皆ピリピリしていた。10名余りのメンバーは、ほぼ初対面である。彼らとの8時間に及ぶ会議は、英語力の低さも手伝い、相当の集中力を要した。初対面なので、メンバーは私のことを “Dr. Inoue”と呼んでくださる。これが厄介で、良く会話に出てくる“In a way, …(ある意味では)”や“… in a way …(の方法で)” が、Inoueに、私の耳には聞こえるのである。会議中いつも名前を呼ばれている気がして、幾度か自分の姓を恨んだものだ。僕の頭頂部が寂しくなったのも、この会議の所為だと思っている。
 全面改訂の作業は、米国留学中、University of California San Francisco の5つの呼吸器ラボがまとまって応募したNIH Program Project Grantの執筆に携わって以来の大仕事だった。委員会の仕事は手探りだし、GINA以外の日常の仕事も山積みである。睡眠時間を削る日々が続くと傍目にも覇気が無く写るようで、教室員には「少し休んで下さい」と気を遣われた。申し訳なく思っている。二度目の会合からは、皆が”Hiro”と呼んでくれるようになって、ずいぶん楽になった。余談だが、先日、委員会の一人が講演でGINAの話をしたとき、その場に家内を伴う機会があった。その演者の話が素晴らしかったのは勿論だが、家内はまずは「GINAってホントに存在するのね」と思ったらしい。1泊3日の海外出張で土産も買わずほとほと疲れきって帰国する私の姿を、よほど訝しく感じていたようだ。

 GINAは、大改訂後も最新のエビデンスを取り入れて毎年updateしている。このために、毎年春に開催される米国胸部疾患学会ATSと秋の欧州呼吸器学会ERSの前日に会議をする。半年間にPubMedに発表された喘息診療に関する全ての英語論文を委員全員でチェックし、国際指針の修正や追記の必要性を議論して、その論文を参考文献に取り入れるかも吟味する。このとき、皆の意見が合わず新たな問題点が浮かび上がると、これまでのエビデンスのレビューが必要になる。そして、このレビューに指名されると、大量の論文とともに、アメリカ食品医薬品局FDAや欧州医薬品庁EMAに提出された分厚い薬剤情報提供書が渡される。時差を無視した海外とのSkype/iChatが続き、苦手な早起きにも慣れてきた。最近ではすっかり朝型の生活である。

 委員会に参加して判ったのは、エビデンスとなる臨床研究、特に介入研究の重要性である。どんな介入研究でも、査読がきちんとしている雑誌に載ると、海外の研究者は注目しインパクトを持つのだ。この研究結果に基づいて国際指針やガイドラインが改定される。例えその論文がエビデンスとして採用されなかったとしても、海外のグループはその研究結果を参考にして大規模研究を計画していく。小さな介入研究でも、英文で発表すると結果を世界がみている。これまでの我々の介入研究、小規模だが斬新な研究の結果は、大規模研究で再現され信用を得た。将来の研究促進に資すると評価されたことが、日本の田舎の研究者の私に委員会メンバーとしてお呼びがかかった理由とのことである。
 我が教室に目を向けると、研究への意欲が高まってきているのがわかる。我々の研究がトップジャーナルのページを飾る日がくるのは遠くない。後進はその姿をみて憧れるだろう。そう感じさせ信じさせてくれる熱気が今の教室にはある。

 GINAの会議が終わると、COPDの国際指針GOLDのScientific Committeeグループと共に食事会になる。ワインを飲みながら、トップジャーナルに掲載された論文への批評、自分達が作成している指針の称賛やお互いの指針へ皮肉など、ざっくばらんに話し、大笑いしながら盛り上がる。また、突然、先の会議の続きや、今後の共同研究の話が始まることもある。サイエンスがどのように進むかを垣間見るようで、ワインの銘柄だけでなく、その時間も私には刺激的だ。