教授の雑文

井上博雅教授の雑文

雑誌『呼吸』の想い出とこれから

2019年11月

 雑誌『呼吸』とそれを後継した『呼吸』eレポートが、37年間の役目を終え廃刊となる。この雑誌『呼吸』は、1982年の創刊以来、呼吸生理学、病理学、生化学、微生物学から、分子生物学までを網羅した解説記事、さらに様々な呼吸器疾患の病態生理や症状、診断、治療、疫学に関するレビューを掲載し、基礎から臨床にいたるまでの歴史や伝統、最新知見を我々に伝えてくれた。2015年12月に紙媒体の雑誌『呼吸』が休刊となったが、そのバックナンバーの掲載論文は、一般社団法人呼吸研究のホームページ上でネット配信され続け、さらに新たな記事も『呼吸』eレポートとして追加されていた。今回、両者の廃刊は残念である。

読者として

 記憶は定かではないが、初めてこの雑誌を手に取ったのは、大学病院の研修医1年目、大学生協だったと思われる。まだ内科全般を研修中であったが、呼吸器内科医となり、何を専門とするかと考えていた時期だったので、この雑誌との出会いは当時の私には大げさに言えばエッポックメイキング的なことだった。スカイブルーの表紙に、「呼吸」と白抜きで記されたその月刊誌は美しく、その内容も魅力的であった。
 それからずっと、個人的に定期購読することになるのだが、勿論、大学医局の図書室の本棚には『呼吸』の最新号が並んでいた。しかし、医局の人事異動でのローテーションも頻繁で、卒後7年目の留学までに6度の引越をした身には、この『呼吸』だけではなく必要な情報源となる雑誌は定期購読をするしかなかった。実際には、Fraser & PareのDiagnosis of Diseases of the Chest、FishmanのPulmonary Diseases & Disordersなどの教科書に加え、毎週送られてくるNew England Journal of Medicine、毎月のMedical Clinics of North America、Clinics in Chest Medicine、さらにこれらに『呼吸』が追加となると、研修医の安月給で逼迫した家計への影響も大きい。さらに、異動の度、引越荷物の中で書籍の箱の数が多くなる。それでなくても、家庭での私の立場は初めから厳しい状況ではあったうえに、さらに弱体化するのを助長したのは、これらの書籍や日々増え続ける学術誌と薄給であったと信じている。

 卒後4年目から肺生理研究室と病院の呼吸機能検査室に出入りするようになった。救急や人工呼吸管理に魅力を感じている新米医者にとって、呼吸生理学は難解そうだが、学問と目の前の臨床を繋ぐことに強く惹かれるものだった。肺生理研究室は歴史ある研究室だったが、その頃の研究室員は私を含めて2〜3名。勿論、今も続く臨床呼吸機能講習会で講義や実習を受けた。しかし、実際の呼吸生理学の勉強は独学に近かったと思う。当時から英語が苦手で英和辞典を片時も手放せない私にとって、英文の教科書やレビュー論文はたいへんハードルが高かった。呼吸生理学の詳細や呼吸機能検査の英文は難解であったし、せっかくの得意の数式を苦手な英語で勉強するなど、学生時代には思いも浮かばなかった。
 英文の教科書や雑誌を読む前に、動脈血ガス分析、酸塩基平衡、呼吸抵抗、換気応答、呼吸筋力など、『呼吸』に掲載された解説を一読することで、英文がすんなり理解できた記憶がある。そういえば、研究を始めて間もなく、九州肺機能談話会でのreview talkを指名された時も、先輩の厳しさに尻込みしたが、教科書Handbook of physiologyや、Am Rev Respir Dis、J Appl Physiol、Thoraxなどに掲載された論文の読解に、『呼吸』の記事に助けられた。

編集に携わって

 留学先のカリフォルニア大学サンフランシスコ校心臓血管研究所 (UCSF, CVRI)から帰国して、1996年に『呼吸』の編集部から留学報告の掲載依頼を頂いた。その後、気道過敏性、喘息の病態や治療、気道炎症、2型サイトカインやケモカイン、細胞内シグナルなどの解説を執筆する機会があった。いつしか雑誌の表紙も、ホワイトバックに緑色の肺のイラストが載ったものにかわっていた。PCに残る古いメールの記録を見ると、若い頃の救急や呼吸循環管理にのめり込んだ経験やUCSF留学中の様々なコースの受講歴をかわれて、「ERと呼吸器診療」のシリーズの企画、留学中に苦労して勉強した「細胞生物学」や「分子生物学」、「統計や疫学」のシリーズ/講座の企画、ピットフォールなど、いつしか編集に参画させて頂くようになっていた。
 今、目次を見直してみると、米国留学中に研究していたautoinducerやquorum sensing機構など、細菌感染に伴う炎症や細菌間のコミュニケーションとその制御についての掲載が少ないのに驚いた。理由はわからないが、その特集を組むことを失念していたようだ。抗生物質に対する薬剤耐性菌が問題となっている現状に、今後の細菌との対戦戦略について若者に関心を持ってもらうきっかけやその基盤を、もう少しつくることができたのかも知れないと思うと、口惜しい思いがある。

 編集会議は、いつも東京神田須田町のビルにあるレスピレーション リサーチ ファンデーションのオフィスで行われた。初めて出席したときは、学生時代から教科書や雑誌『呼吸』の紙面でみた著名な先輩方にいささか気後れしたものである。今思えば、今の私くらいの年齢の方々なのだが、大変なベテランに感じていた。我々新参者の意見に舌鋒鋭く斬り込まれ、盲点を指摘され、解説も戴いた。その中の一人でいられたのは貴重な経験であった。
 会議は長期戦だ。羽田空港からモノレールや電車を乗り継いで淡路町で降り、神田まつやや旧神田藪蕎麦などで腹ごしらえをして挑む。個性豊かな編集委員ばかりだったので、驚きやはじめての耳にする情報もたくさんあった。症候群や稀な疾患の知識に富んでいる方、新薬の情報通の方など、編集委員それぞれの経験や個性がこの雑誌を形成したといえる。

今後を考える

 今は、日本語で解説した記事がクリック一つで手に入る。医学雑誌に限らずどの分野でも、紙媒体の情報誌が廃刊に追いやられている。将来再び、呼吸器関係の和文誌の発行を再開することは難しいだろう。
 一方で、日本呼吸器学会では、e-learningと称する動画コンテンツを会員の教育用に配信しはじめ、私もそれに携わっている。インターネットを使用した学習は、コストの面、最新の内容へのアップデート、PCだけでなくタブレットやスマートフォンが活用でき、利用者の利便性など、様々なメリットがある。いつでもどこでもできる学習、SNSを使った受講者同士のコミュニケーション、受講者の進捗情報管理などが容易なのである。
 しかし書籍には、e-learningなどのネット教材に比べると、学習教材を作成する手間やコストが節約でき、過去のテータがそのまま利用できるというメリットある。

 雑誌『呼吸』や『呼吸』eレポートの廃刊に伴い、呼吸研究が有している著作権はどこかに移譲されるであろう。これまでの掲載記事は、学術的にも高水準であり、いまだに有用だと編集委員の一人として自負している。掲載記事のWeb検索やWeb閲覧は是非継続したいし、してほしい。そのためには、アナログからデジタルへの以降、すなわち、pdf書類をWebページに変換し、検索や閲覧がより簡便となる必要がある。
 ここでまずは収益をあげ続けることが重要となる。なぜなら、Webページに変換するには多額の費用がかかる。さらにWebに変換した後も維持費を捻出せねばならない。これらを全て出版社に委託するのも容易ではない。
 そこで、どうすれば事業として成り立つのかを考えてみた。広告収入を増やすことや購読料の値上げなど、どれも試みたことだ。既存の方法では難しい。
 しかし、どこかに成功している事例はあるはずだ。
 New York Times。クロスワードパズルが大好きな読者や毎日使う料理レシピが必要な読者やたくさんいることを資産データから解析し、文字通りのdigital asset managementで有料会員を増やしたという。
 NewsPicks。スマートフォンのアプリで、画面にニュースが流れている。そこで画面のPICKというボタンを押すと、ユーザーが記事に対するコメントを投稿できる。これが集まると付加価値がついた多面的な理解が深まる。コメンテーターであるプロピッカーに憧れを持たせ、有料会員を増やしている。さらに、この中でコミュニティをつくって、NewsPicksアカデミアゼミを開催しているとのこと。

 情報があふれる時代。ますます質の高い情報が要求される。専門家のコメントは、様々な領域で情報の分別に役立つであろう。
 “Web『呼吸』”をつくりあげ、そして読者がその見識と知識に信頼をよせる専門家を、どのように育て、その存在を維持していていくか。これまでの記事をいかに有効活用し、後進に繋ぐか。今、呼吸器病学に携わる者の責務と考えたい。

『呼吸』eレポート3巻2号http://www.respiration.jp/erep/mokuji.php