教室案内


教室について

教授挨拶

愛甲孝教授 鹿児島大学腫瘍制御学・消化器外科学教室では、食道、胃、大腸、肝臓、胆道、膵蔵、乳腺、甲状腺、肺の疾患について、診断と治療を行っています。疾患のほとんどは悪性腫瘍であり、これらを対象に臨床および基礎研究を行っています。臨床面では、術前診断として内視鏡検査、超音波検査などの手技、画像診断の読影など検査の習熟に努めています。周術期管理を学ぶことで、プライマリーケアに対応できるようにカリキュラムを設定ています。切除標本と術前診断の対比検討を行い、診断精度の向上や病理学の知識習得にも力を入れています。外科医として最も重要である日常診療に必要な基本的技術や手術手技の修練のカリキュラムを構築して、外科専門医を取得できるようにしています。外科医の守備範囲は広いため、総合外科医としての資質を着実に一歩ずつ磨くことが基本と考えます。その後、総合外科医の上に立脚した各領域の専門分野を選択していく方針としています。大学のみならず関連病院と密な連携を構築しており、認定医や専門医の取得に必要な各種疾患の外科治療を修練できるように配慮しています。関連病院でも診断技術、手術手技、患者さん・家族への接し方、救急疾患への対応、化学療法、疼痛管理、緩和治療など様々な観点から、実践に基づく経験や知識を学ぶことが必要です。

 研究面では、ある時期に、一定の課題について深く入り込んでいくことは重要なことです。臨床の場では、経験などから得られる物事を多面的に見る力と、研究から得られる物事を深く洞察する力が必要です。研究するためには土台となる基礎医学を学ぶ必要があります。そして自分の研究の位置が世界でどのレベルにあるのか、文献を読んで把握しなければなりません。さらに今までの報告と異なった新しいアイデアを考える必要があります。この一連の研究作業では、仮説を立て、結果を推測し、実証するという考え方を養います。このような考え方はその後の臨床で、目の前の自分の患者さんに対して最も良い治療は何か? 治療が困難な症例で工夫することはないか? 重篤な合併症が起きた場合、どのように対処すれば良いか? という様々な場面でも必ず役に立ちます。さらに手術手技、手術器具や治療法の工夫や開発にも臨床魂と研究魂の両者が重要です。私たちは、このような機会を通して切磋琢磨しながらも協力し、一丸となって世界に発信できる臨床および研究を推し進めています。

 教室の先生方とは「明るく、和をもって、一歩前進」の気持ちで日常を過ごしています。医療とくに外科は一人の力ではなく、チーム医療、和が重要であります。教室員の和、病棟の和、同門先輩の先生方との和、基礎・臨床の先生方との和、全国の先生方との和と次第に大きな和になるように努力しています。外科に興味があり、癌治療を行いたい、鹿児島の地域医療を発展させたい、そして鹿児島から世界に何かメッセージを送りたい、そのような考えのある皆さん、是非一緒に仕事をしましょう。

歴代教授の紹介

1774(年安永3)年、藩主・島津重豪の命で建てられた医学院は1869(明治2)年、西洋学校と改称され、西洋医学の導入が鹿児島で樹立された。指導者はイギリス人のウイリアム・ウイリスで西郷隆盛、大久保利通に招かれ、西洋学校で活躍した経緯がある。

  • 1943-1945年 初代 石田 堅三郎教授
    県立鹿児島医学専門学校開設。附属病院外科学講座が開設され、頭部、胸部、腹部、四肢血管のあらゆる外科疾患を対象として診療が行われた。しかし、戦火の中、石田教授は戦災死された。
  • 1945-1946年 2代 森 良雄教授>
    当時の鹿児島市は、空襲により廃墟と化し、附属病院も全焼し、子どもたちが疎開していた焼け残った盲唖学院に場所を借りて、仮診療を行っていた。
  • 1947-1972年 3代 内山 八郎教授>
    当時の手術範囲はすこぶる広く、結核、腹部手術、頭部、血管など、゛頭の先からつま先まで、表も裏も"の主義であった。教授就任当時の医局員は10名足らずであり、コッヘル10本、鉗子数本、板張りの手術室、バラック病室という環境で奮闘された。内山教授は食道癌の再建臓器に胃管を用いた後縦隔経路再建術を、また食道アカラシアに対するHeller-内山法を考案された。
  • 1972-1984年 4代 西 満正教授>
    癌研外科から赴任され、外科の主たる診療の対象は癌に焦点が絞られた。癌の外科治療体系の標準化がなされ、主病巣切除と広範囲リンパ節郭清による根治切除の概念が導入された時期である。西教授は癌研副院長として転出された。
  • 1986-1993年 5代 島津 久明教授>
    東大から赴任され、根治的治療法から適正な治療への変遷の時期である。患者の延命と同時に術後QOLを十分に配慮した治療選択が行われるようになった。この重要な時期に風邪の発熱をおして理事会出席のため、上京され、敗血症で倒れられた。まさに殉職であった。
  • 1994-2007 6代 愛甲 孝教授>
    島津教授の急逝という悲劇を乗り越え、昇任された。個々の患者に応じた適正な治療法の選択のために、臨床所見に分子生物学を取り入れ、新たな治療戦略を展開している。2007年鹿児島大学理事に就任された。
  • 2009-現在 7代 夏越 c次教授>
    教室より准教授を経て教授に就任された。拡大手術、合理的手術、縮小手術の術式と、以前より取り組んできた微小転移、癌の悪性度、放射線・薬剤感受性など基礎研究結果の統合を目指している。