鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 心臓血管・高血圧内科学

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Department of Cardiovascular Medicine and Hypertension, Graduate School of Medical and Dental Sciences, Kagoshima University

講座について

沿革

教室の歴史

当教室の発足は、昭和18年の県立鹿児島医学専門学校の創設時まで遡ります。桜井之一初代教授は九州大学医学部第一内科の御出身です。創設当初の御苦労に加えて、昭和20年6月には第二次世界大戦のために鹿児島市が大空襲を受け、病院も被災しました。非常な困難を伴った復興の中で終戦を迎えましたが、今度は医学制度改革に伴う鹿児島医学専門学校の存廃問題が持ち上がりました。困難な問題が山積していましたが、桜井教授をはじめとする当時の関係者の皆さんによる御尽力で、見事に難局を乗り切りました。

こうして、昭和22年6月に県立鹿児島医科大学が開設されました。このような困難の中で当教室を運営された桜井教授は、昭和26年に御退官になられました。

下二枚の写真は、県立鹿児島医学専門学校の母体となった県立鹿児島病院の正面玄関とその全景、ならびに戦災にあった後の県立鹿児島医専附属病院です。また、昭和23年2月の南日本新聞に、“電気心働撮影器”(心電図記録装置)導入が大々的に報じられているのも、時代を感じさせます。

昭和26年2月には、桝屋冨一先生が第二代教授に就任されました。着任後しばらくして、附属病院が再び類焼し、大変な苦労をして再建に取り組まれました。昭和30年7月になって、県立鹿児島医科大学は国立に移管され、鹿児島大学医学部となり今日に至っています。左の写真は旧鹿児島大学医学部附属病院の全景です。桝屋教授が当教室で成し遂げられた業績は、フィラリア症と鉤虫症の病態生理学的研究です。昭和33年6月に、桝屋先生は九州大学医学部第3内科に教授として迎えられました。

昭和34年3月に金久卓也先生が第三代教授として着任されました。金久教授によって、当教室に心身症、循環器、血液・免疫、内分泌・代謝の4つの部門が創設されました。ここに至って現在の教室の基盤が確立されました。また、金久教授は旧霧島分院から霧島リハビリテーションセンターへの発展にも御尽力されました。昭和50年には現在の桜ヶ丘キャンパスに医学部が移転し、当教室も新たな時代を迎えることになりました。4つの部門の切磋琢磨によって多くの研究成果が生まれ、多彩な人材が輩出しました。後になって当教室出身の教授が次々と誕生する礎となりました。そうして、金久教授は昭和55年4月に退官されました。

昭和55年10月に田中弘允先生が第四代教授として着任されました。田中教授によって、当教室に呼吸器部門が新設されました。こうして、心身症、循環器、血液・免疫、内分泌・代謝、呼吸器の五つの部門を擁する現在の教室の姿が出来上がりました。平成7年には当教室伝統の心身症部門から、新設された心身医療科に野添新一教授の誕生を見る事が出来ました。田中教授は医学部長を経て、平成9年に本学出身の初の鹿児島大学学長として転出されました。

平成10年4月からは当教室出身の鄭忠和先生が第五代教授に就任され、第一内科は新たな発展をとげ、平成24年3月の教授退官と同じくして、診療科再編に伴い、心臓血管内科(循環器内科)に特化されました。

平成25年より大阪大学第四内科出身の大石 充 新教授が就任し、分野名も心臓血管・高血圧内科となりました。ナンバー内科の歴史を引き継ぐ幅広い診療と、循環器内科の専門的な診療・教育・研究のより一層の発展を目指してスタートいたしました。