『椿の花が落ちる時』

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立春の候 皆さまいかがお過ごしでしょうか。

私事ですが、昨年末、祖母が94年の生涯を閉じました。寝たきりではありましたが、2日前まで母の手作り料理を食べ、一緒に歌を歌って指揮をしたり、孫や曾孫の代までのお年玉の準備をしたり。親子で本当に幸せで温かな時間を過ごしていました。

祖母は、戦中戦後の厳しい時代を教師として歩みぬき、祖父と出会い、農業をしながら議員の妻として必死に祖父を支えていたそうです。祖父を早くに亡くなってからも、会長をしたり民生委員をしたりしながら多くの人と関わってきました。その中で芯が強く、しかしその分とても愛情深い祖母は、与えられた役割にも感謝の気持ちを忘れず、家族も大事にしながら、孫・ひ孫と50人近くにもなる家族を大切にしてくれました。そんな祖母も、88歳で脳梗塞になり、それまで『シャンとした婆ちゃん』の姿が、『弱弱しいお婆ちゃん』の姿に変わっていきました。病で老いを感じ、「悔しい、淋しい、情けない。」と喪失感を抱きながらもそれは、毎日書く日記の中だけにとどめ、私たちの前ではいつも『祖母』らしく、「おかえり」と迎えてくれました。

そんな祖母を、このプログラムに入る前なら、家で過ごすという選択、あるいは、家で過ごせていても『その人らしく』という点には欠けた介入しかできなかったかもしれません。また、介護も母や兄弟達の負担になっていたかもしれません。指宿の開聞という田舎でどのような看護や介護が出来るのか。その地域の評価を行いながら、5人の子供たちを始め親戚中にいろいろな情報や選択肢を提供しながら意思決定支援を行い、祖母が暮らしてきた『家』で過ごせたことは、本当に祖母の生きる力となったと思います。また、祖母を看ていた母や母の兄弟もみんなで協力していたため、祖母の亡くなる間際は、好きな曲が流れ、涙あり笑いあり、「一緒に過ごせて楽しかった、幸せだった。ありがとう。」と悲しみだけではない、充実感や幸福感も含まれるようなたくさんのありがとうに囲まれていました。祖母は一番最後の孫が到着してから、しっかりと息を引き取りました。生前祖母は私に、「みんなに、一人一人にお別れを言ってから死にたい。」と申しておりました。それが私の「ばあちゃんとの約束」。でも、それを実現させたのは祖母の想いの力、家族の想いの強さだなと感じました。星が綺麗に瞬く冬の澄んだ空に、家族みんなが祖母の旅立ちを感じながら、エンゼルケアは娘と孫で思い出話をしながら行い、久しぶりに化粧をした祖母の顔に少し笑い、「じいちゃんがびっくりするかもね。」と声をかけながら、ゆっくり時間が過ぎていきました。旅立ちの準備が終わったのは、後光が差す日の出の時間でした。

私は、父・2人の祖母と3人の身近な家族の死を体験しました。突然死、療養からの急変、そして、老いの中で迎えられる自然な死。人が生きる先には必ず『死』がある。死ぬ日までどう生きるか、誰とどこで過ごすか。それはその人が歩んできた人生でそれぞれ違い、一人として同じ死の形はないと思います。そんな中で私たちができること。それは、「その人」を理解して、対象やご家族、その周りの方々のニーズについてたくさん語り、何が出来るかを一緒に考え、探していくことだと思います。決して自分たちのいいようにするのではなく、日々の小さな望みでも叶えていけるような支援をすることだと思います。そうすることで、死が自然であることを受け止めながら準備もできるのではないでしょうか。

祖母は、生前、人生を花に例えたことをよく書き留めていました。

『庭に咲き誇りし真っ赤な椿の花も、日ごとに落ちし姿もまた 我が一生を見せるが如し』



椿の花が落ちる時、それまでに私たちが少しでもお手伝いできることを、土となり、水となり、時には光となって支えられる存在になれたらいいな、と思います。このような学びを与えてくださった皆様、そして、祖母、家族、その他大勢の方々に感謝申し上げます。



アドバンスコース2期生   永田 恵里