教授の雑文

井上博雅教授の雑文

なぜ、我々は研究をし、海外留学をするのか(2013年同門会誌)

2013年6月

 大学に所属する者には、臨床や教育と同時に研究を推進することが求められます。その将来像を考えると、臨床の教室では臨床医になる入局者がほとんどでしょう。では、我々はなぜ大学院に進み研究するのでしょうか。また、なぜ国際学会で発表を勧められ、なぜ海外留学を勧められるのでしょうか。

 私の場合、大学院進学を当時希望しましたが許可されませんでした。呼吸器内科医の不足は以前からずっと変わりません。地方の基幹病院に、当初は1名で出張を命じられました。そこでは、内科全般や救急の常識を身につけるためにとすすめられたNEJMやMed Clin North Am、呼吸器領域ではClin Chest Medや米国胸部疾患学会ATSの学会誌を読み漁りました。そこに掲載されている先人達はまさに雲の上の存在でした。
その頃の私の目標は臨床医でした。それでも研究を希望したのは、ひとつは研究することで臨床での見方が変わると思ったこと。また、新たな発見をするために着眼点を研いて、地道に実験し論文を書く苦労は、読み手側に立った時、論文の盲点なども読み込めるようになると考えたからです。

 医業は広義のサービス業とされますが、我々医師は科学者です。
 科学者は論理的な合理性から考え、科学的な見地から判断します。そして時には既存の枠組みを外れた発想も必要なので、これをどうにか磨きたいと考えてきました。(ただ、この努力をプライベートに反映させようとすると、「枠組み」がもうひとつ現れます。その上、ひと回り大きいのが常のようです。)


 そこで、臨床を続ける中で臨床データをまとめ、基礎研究は週末や夜に続けました。それらの論文が欧州呼吸器学会ERSやATSの学会誌に掲載されて、博士号をいただきました。
実際には、それまでの報告を十分に読み込んで実験計画を立て、些細なところにまで気を配って実験しても、思ったような結果は出ず、予想は見事に外れます。それが何度も続くこともある。これまで報告されていないこと、誰もやっていないことを追究しているのですから、当たり前です。しかし、失敗にはそこにしかない景色があります。そして、また考え、想像し、工夫を重ねる。
そして、思い通りの結果が出て、病気や病態のメカニズムの一端がわかると、まるでマジックのタネを明かして見せたようで、ワクワクして少年のように胸を張りたくなります。

 私はせっかちですから、新しい仕事をすぐに理解してすぐにこなせるようにしたい。目的地には最短距離で楽に到着したい。しかし、それは長い人生には通用しないし、研究にも通用しないのです。道を省くと、必ず取りこぼしが出る。その取りこぼしを、また拾いに行くのは至難の技です。年単位の仕事には道標がなく、地道な作業の繰り返しに感じます。が、私たちは自分たちの研究成果が、基本的な概念さえも覆す可能性のある世界にいるのです。
大学院生には、思ったような結果が出ず、博士号が取れるのかと不安な日々を過ごす人もいるかもしれません。しかし、博士号はその業績にではなく、博士号に恥じない科学的判断や社会貢献が問われ、そのひとの将来に期待して出されるものです。学位取得はスタートにすぎないのですから、十分に研究を楽しみましょう。なかなかわからないものに面白がって関わる贅沢な時間を、満喫する機会です。

 国際学会にも出席してください。それも、ぜひ発表者として。学会に参加するだけの場合とも、海外旅行とも違う空気を体験してください。ATSやERSなどの国際学会、Keystone Symposiumでは、世界的なリーダーはもちろん、その人たちに惹かれて集まった才能溢れた若者たちが出席してきます。彼らとの交流は、知を刺激し、世界を動かす新しい発想が生まれ、次代の研究者や臨床医を育てています。目的や興味をともにする科学者との出会いは、異なる着眼点を知らせてくれます。彼らの熱い語らいは、自分が次に進むエネルギーになります。

 研究業績を出すのが難しいのは、海外留学においても同じです。業績だけを考えると、日本の超一流ラボに国内留学する方が個人の業績が上がると勧める人もいるでしょう。しかし、異国の地に「滞在する」のでなく「住む」チャンスに出会えるのですから、海外留学を大事に考えて欲しいと思います。
異文化に接し、他民族と交流し多くの友人や関係を作ることはもちろんですが、何より外側から日本を、現在自分が立っている場所を見てください。自分独自の価値観や行動規範が良くわかります。それは宗教や習慣からだけによるものではなく、固定観念というただの思い込みによるかもしれないのです。
家族を持っている人も、いや持っている人たちこそぜひ海外留学を体験してください。日本での当直や夜間の呼び出しなどの不規則な臨床医の生活から開放されるので、家族サービスのチャンスです。金銭的にはとても裕福とは言えませんが、この時期に一生分のサービスを貯金するつもりで、家族との密な時間を過ごしてください。(その貯金、私の場合は帰国後2年ももちませんでしたが。)
そして、留学の地は、必ず第2のホームタウンになるでしょう。


 我々呼吸器内科グループは、科学者としての矜恃を忘れずに、目標を視界の一番の高いところにおいて進みます。

(鹿児島大学 呼吸器内科学同門会誌 第2号 巻頭言より)