教授の雑文

井上博雅教授の雑文

人口減少時代の医療に人工技術の利用

2019年10月

 もともと地道に努力することに向かない質だ。その一方で初めて見たものや新しい事を前にすると気分がウキウキする。それが気にいると夢中になる。これでは子供と変わらない。それは自覚している事なので、そのまま読み進めていただきたい。
 そして今は人工知能(artificial intelligence, AI)に夢中だ。
 医療現場でも実際に多方面で活用が始まっているのだが、これから日常診療での入力支援はもちろん、スクリーニングへの応用、モニタリングへの応用をめざした研究。いろんなことができそうだと、暇さえあれば構想を練っている。

 しかし、周囲には、日々の診療での利用はどうも「禁忌肢」に映るようで、導入に否定的な意見が多い。AIの活用は、将来の医師の仕事を奪ってしまうかもしれない。特に内科はそのリスクが高いとの指摘が多い。問診へのAI導入で鑑別疾患を即座に挙げてくれるなど、より簡単に結果を導き出す技術は、若い医師への教育上よろしくないとの意見もある。さらに、個人情報は守れるのかどうかという声は根強い。

 それらの意見は承知の上で、私のAIへの興味は高まるばかりだ。
 早速、皆の反対を押し切って取り入れようとしている。勿論、その専門家や企業も、我々を、いや私を警戒している。それもまた承知の上だが、まずは私にだまされたと思ってコマを進めてみてはもらえまいか。
 そう、この場を借りて私の側に引き込むための説得をしてみたい。

 まずは、慢性的な人手不足を補ってくれる介護ロボットに、皆期待しているのは異論のないところだろう。
 しかし、AIに職を奪われるという懸念から、若い医師や学生達の将来への不安は強い。困るのは、AIがきても残る安全な仕事はこれだと喧伝している大人やマスコミがいることだ。科学の進歩は、どのみち我々の想像を遥かに超える変化を起こす。どの仕事がAIに置き換わるか、どれが安全な仕事かは誰にもわからない。手に職があっても、それがAIに取って代わられないとは言えない。それを恐れて、仕事の種類を選択すること自体、リスクが高いのではないか。現在も将来にも、常に求め続けられるのは、自ら考え、変化に柔軟な人材なはずである。
 我々は正確な診療に自信があり、閃きがあり、ブレインストーミングもできる。私は、我々の方がAIよりも優れているということを、まるで疑っていない。
 AIの導入は若者には魅力的に感じるだろうし、勉強になるはずだ。AIが疾病の鑑別を導き出すときに、どの点を重要視しどうしてその質問を選択したかがわかれば若者の教育にも役に立つ。
 個人情報に関しては、情報の選択をし、重要事項は入力しないなどの対策を考えている。

 少子高齢化や労働人口の減少が日本の大きな社会問題になって久しい。特に地方はそれが顕著である。同時に、医師の地理的偏在により、地域医療は悲鳴を上げている。さらに、住民の高齢化やアレルギーの増加に伴い呼吸器疾患は急増している。日本全体の医師の診療科偏在も相まって、地方の呼吸器科医の深刻な不足はもう論を待たないところに来ている。残念ながら、これらの問題がものの数年で解決できるとは思えない。
 そこでAIである。
 ここに、AIの助けがあれば、少なくとも医師不足による長時間診療を解消してくれる可能性が出て来る。
 特に、感染症、癌、アレルギーや自己免疫疾患、生活習慣病、救急診療や呼吸管理と欠けている領域のない呼吸器内科診療は、守備範囲が広い分、AIのサポートによる病歴や薬歴の自動入力には担当医は大助かりのはずだ。生まれた余裕は、より深くより丁寧な診療に繋がるだろう。地方の呼吸器内科ほど、AIのサポートを有効利用できる。それは患者さんにとっても同様である。待ち時間を有効利用できると歓迎してくれるはずだ。

 問題点はもちろんある。AIのサービスが高機能すぎれば、取り残される者もでてくる。地方で勤務する医師の多くは先輩方で、電子カルテさえも疎ましいかも知れない。高速ネット環境の整備も最低限必要な要件だ。そこを一つ一つ埋めていくのが我々の努めである。

 あの大きなPCが我が家に来た時、携帯電話のCMが流れた始めた時、誰もがおっかなびっくり。しかしワクワクしたはずだ。そして今、スマートフォンが全ての人の手にある。こんなに広くこんなに短期間に普及するとは、ほとんどの人が予測しなかった。
 善を行うに勇なれ。
 この場合、AIは善である。AIが社会の変化でありそれが明らかに悪でなければ、そこが進む方向なのだ。失敗を恐れるのではなく、失敗をすることも成功への道なのだと信じて、恐れずに皆で飛び込んでみようではないか。