教授の雑文

井上博雅教授の雑文

とある病院の創立50周年記念祝賀会での挨拶(2017年同門会誌)

2017年12月

 院長先生、病院のスタッフ、関係者の皆様、創立50周年、誠におめでとうございます。
 私は九州大学病院呼吸器科に所属していた時、と言うよりも、医者になった昭和60年以来、鹿児島に移る7年前まで、貴院に非常勤として勤務させていただきました。この病院では院長先生よりも少し古株、さらに、院長先生と留学先も同じということで挨拶の機会をいただいたのだと思います。毒舌と評判の私を、挨拶に指名していただいた院長先生の勇気に敬意を表して、今日は思う存分、愛のある毒舌を発揮してみたいと思います。

 当時は先代の前院長先生が闊達に診療の指揮をとっていらっしゃいました。先代のお話はなかなか聞き取りづらく、一度で聞き取れるようになると一つステージをクリアしたような気分になったものです。先代は、じん肺患者さんの呼吸困難に注目し、呼吸機能検査を日本で最初に初めたグループのお一人です。さらに、その当時は優秀で働き者の看護師さん達がいました。おっと、これは過去形ではまずいですね。働き者は皆、私と同様順調に腹部の成長を続けておられ、しぶとく生き延びているようで、多くの旧友と今日は再会ができました。
 先代や看護師さん達は、医者に成り立ての私に、まるで子供に教えるように、医療従事者としての振る舞い方や患者さんへの対応を優しく厳しく教えてくれました。 ここからは、少し長くなりますが、この病院で教わったことを、皆さんにお話したいと思います。 まずは、目線を患者さんと同じかもっと低くして、君は滑舌が悪いのだから意図的にゆっくりと話すこと。話すときも相手のバックグランドや職業を考えて用語を選ぶこと。医者になりたての時、初めて診る患者さんの対応を聞かれたら、いつも見ている看護師さんならどうするか尋ねてみて、解決策の参考にすると良いよ。患者さんや家族の不安が非常に強い場合は、「大丈夫ですよ」と声をかけなさい。自らを奮い立たせるためにも。(いつから医者は「大丈夫」と言えなくなったのだろう。最近 よく思います。)
 相手の立場を考えて話をすることが、まずははじめの一歩だったと思います。

 そして少し自信がついたら、decision makingをして責任をとることが、成長するためにはとても大切だと。同じ医者同士、お互いの良いところを見つけて、自分に足りないことを効率よく補ってもらいなさい。助け合うこと。医療はチーム。看護師さん、薬剤師さんや事務の方々、様々な職種の人を一つにまとめていくリーダーシップがどうあるべきか。このチームメンバーにどうすれば喜んで働いてもらえるか。患者さんからは感謝されるけど、忙しさの割には充分に報われていないと感じさせない、働き者が報われる体制や雰囲気が大事。
 実臨床では、患者さんも看護師さんも、専門バカに診てもらうことを望んではいない。知識を常にアップデートする専門領域が重要なのはわかる。でも、専門領域を一つではなく二つ三つ持ちなさい。

 呼吸生理の研究は、自分達の時代から始めた。君らは、生理ばかりに固執すると時代の進歩に遅れるよ。生理学も利用しながら、新しい手法をドンドン取り入れてやっていかないとね。
 グループの結束度を高めるためには、組織は常に新しいことに取り組む癖が必要なんだ。夢を持って、新しくグループを創っていくと、もっと面白いよ。
 でも、やり過ぎ働き過ぎて、燃え尽いてはいけない。その時は、研究を好きな道楽をさせてもらっていると考えなさい。

 時代が違うのかも知れないが、先代は、時々100円玉一個しか持たずにタクシー乗っていた。それでも地域のタクシー運転手さん達は皆噂で知っているようで、キチンと自宅まで送ってもらっていた。一度同乗させて戴いたことがある。降り際に新人の運転手さんにも「○○さんありがとう」と、いつの間にか乗務員証を確認していることに驚いた。
 風に御し其の止まる所を知らず、羽化して登仙するが如し
 飄飄としていながら、繊細な心配りを怠らない方でした。
 先代や皆さんには、沢山のこと教えて戴きました。ここでの勤務は今の私の大きな礎の一部です。この伝統はいまも続いているでしょうし、今後も是非続いてほしいと思います。

 さて、貴院には、いくつかのエッポックメーキングな出来事があったと思います。在宅酸素療法をいち早く導入したことも、その一つでしょう。これは呼吸器専門の病院の多くが同様に対応していました。
 私があげる一番の出来事は、基幹病院ではないのに、いち早く新薬の治験を始めたことです。当時、世界規模で喘息のとても重要な治験があったのですが、日本全体で参加症例が少なく困っていました。そこで、貴院でも治験への組入ができるようにお願いしてみました。勿論、当初は皆さんの猛反対がありました。患者さんはモルモットじゃない。
 しかし、治験をすれば、病院の医療レベルが確実にあがることを、何度もしつこく、しかし丁寧に説明する私に、先代は「だまされたと思って引き受けよう。君も本気でやるならやっても良いよ」と最終的に承諾くださったのです。この決断は、単一の病院の医療レベルや収入という面だけでなく、新薬開発という面で、日本の、いえ世界的の喘息医療の進歩に大きく貢献したと思います。
 二つ目、三つ目は、呼吸リハビリテーションを始めたこと、睡眠時無呼吸診療をはじめたことではないかと思います。これらは、どちらも、現院長先生の素晴らしいご判断ですし、地域への大きな貢献です。この2点に関しては、来賓の方々がこの後お話しされるともの思います。

 最後になりますが、貴院で秀逸した医療を実践されている方々、特に、患者さんにはいつもニコニコ笑顔ながら私共にはとても厳しく、女性を見る目のない私には今も変わらず美しく見える看護師さん達。このような旧知の友達にエールを送ります。次の貴院の50年も、素晴らしい半世紀でありますように。